We support unisef 世界の子どもたちの笑顔のために、わたしたちはユニセフを応援します。

Eine Deutschlandreise 2011 ドイツ旅行 (4/4)
1ページ目へ移動 2ページ目へ移動 3ページ目へ移動 ご覧になっているページ
Inhalt 目次
1 Rostock ロストック、フラウンホーファー研究所
2 Stralsund シュトラールズント、造船所
3 Freiburg フライブルク、環境首都

4 Würzburg ヴュルツブルク
4 Würzburg ヴュルツブルク
4-1 Siebold-Museum シーボルト博物館
4-2 Bürgerspital ビュルガーシュピタール
4-3 Sehenswürdigkeiten 見どころ
4-4 Nachwort あとがき
 前後しますが1.ロストックから3.フライブルクへ向かう途中、ヴュルツブルクに立ち寄りました。
 ヴュルツブルクも30年ぶり。右の写真は、ヴュルツブルクへ向かうICE(高速鉄道)の食堂車で。
ICE(高速鉄道)の食堂車 ICE(高速鉄道)の食堂車
写真4-0-1 写真4-0-2
ロマンチック街道、北の起点ヴュルツブルク。今回の旅では、レジデンツなどメジャーな観光地には行かず、ご縁のある次の2ヶ所に、日本から事前にアポを取って出かけました。
4-1 Siebold-Museum シーボルト博物館
 長崎とゆかりのあるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。出身地であるこの地に「シーボルト博物館」があり、館長さんらはたびたび長崎を訪れているため、以前から面識があります。今回旅の途中でこの博物館を訪れました。右の写真は玄関で館長さんらと記念撮影。建物の地下に純和風の茶室があり、妥協のない作りに驚きました。 シーボルト博物館にて
写真4-1-1
4-2 Bürgerspital ビュルガーシュピタール
 ビュルガーシュピタール Bürgerspitalを直訳すると「市民病院」。起源は貧しい老人たちを収容する養老院。老舗のワイナリーです。
●ワイナリー
 ほぼ毎年、電子メールで注文をかけてワインを1ダース送ってもらうのですが、今回は輸出部長さんにお会いし、テイスティングのうえ辛口の白を4種類×3本=1ダース買い付けました。
 なおドイツワインは白が多く、このワイナリーも白が88%、赤が12%です。
ビュルガーシュピタール ビュルガーシュピタールでテイスティング
写真4-2-1 写真4-2-2
世界最古という1540年物のワイン
写真4-2-3
 広大なワインセラーを、輸出部長さんに案内していただきました。世界最古という1540年物のワインも展示されています。
 土壌や品種によって味の差が出る、そんな説明でしたが、何せ趣味のドイツ語なのでまだまだ力不足。もっと勉強しなくてはと思った瞬間でした。 
ビュルガーシュピタール・ワインケラー
写真4-2-4 ワインセラー
樽に歴史を記したパネルが掲げてありました。大まかには次のような内容です。
ビュルガーシュピタール・ワインケラー説明文
写真4-2-5 ワイナリーの歴史
 このワイナリーのワインは、数百年にわたってヴュルツブルクの城壁内の各所に貯蔵されおり、略奪者から守るため門番がいた。唯一自家ワインセラーだけが安全だった。600年の歴史を持つこのセラーは「聖職者のセラー」と呼ばれ、現在も使われている。1971年に特殊鋼のタンクが設置された。
 1922/23年、先見の明をもつ管理人が、大規模なワインセラーを作った。3本のドーム型セラーには、1970から85年にかけて更新されたオーク樽が置かれ、750,000リットルのワインが貯蔵されている。
●ワインシュトゥーベ(居酒屋)
ビュルガーシュピタール・ワインシュトゥーベ(居酒屋) ビュルガーシュピタール・ワインシュトゥーベ(居酒屋)
写真4-2-6 外観 写真4-2-7 看板
 1日の終わりは、ワイナリーに隣接するワインシュトゥーベ(居酒屋)へ。
弟とは実家に集まると、このワイナリーから取り寄せたワインを一晩でひとり1本、二人で2本飲みます。
 ここを訪れたときも飲み慣れたいつものワインだし、旅行の解放気分も手伝っていつも以上のペース。この居酒屋を出て、ホテルにたどり着く前に、更にビールも飲んでしまいました。
ヴュルツブルク ブルガーシュピタール
写真4-2-8
 翌日は、早朝に出発しハイデルベルクを観光してフライブルクへ向かう予定にしていたのですが、飲み疲れたため出発を遅らせて、ハイデルベルクをパスし直接フライブルクへ向かいました。懲りない飲んだくれ二人です。
4-3 Sehenswürdigkeiten 見どころ
 今回のヴュルツブルクは実質半日だけだったので、これで終わります。でもロマンチック街道の重要な観光地なのに、これで終わったら、ヴュルツブルクの方々から叱られそうだし、弟にも私の身勝手なコースに付き合ってもらい申し訳なかったので、見どころを30年前(1981年)に撮影した写真で紹介します。
マリエンベルク要塞とアルテマイン橋
マリエンベルク要塞とアルテマイン橋
写真4-3-1
 ヴュルツブルクの象徴的風景。手前はマイン川。つまりこの川を下っていくとフランクフルトへたどり着きます。
 橋の欄干に建つ12体の石像は、この地にゆかりのある聖者などらしい。ネットで最新の画像を見ても全く変わらない印象です。
レジデンツ
ヴュルツブルク・レジデンツ
写真4-3-2
 撮影日は11月21日なので、庭園は冬枯れ状態です。ネット検索すると花が咲き乱れ、若葉が木を覆い尽くした画像がヒットします。
 当時、せっかく来たのでと熱を出しながらも観光して回りました。階段の間、600㎡の天井に描かれたフレスコ画は圧巻で、30年も前の事なのに、階段を降りながら天井画を眺めた事を昨日のことのように思い出します。バロック建築の傑作である世界遺産に是非足を運んでください。と書いたものの、弟を連れて行かなかった罪深い兄です。
ヴュルツブルク・レジデンツ
写真4-3-3
大聖堂
ヴュルツブルク大聖堂
写真4-3-4
 これは、写真4-3-1のアルテマイン橋側から大聖堂方向を見た写真。この大聖堂通りは、現在トランジットモールになっています。今回の訪問は火曜日でしたがとても賑わっていました。
 ところでヴュルツブルクは、第二次世界大戦で徹底的に破壊されてしまい、大聖堂も戦後再建されました。
 ネット検索して最新の画像を見ると、大聖堂は、薔薇窓や勾配屋根が復元されたり、外壁も色合いが変わったりと、(裏を取る時間がありませんでしたが、たぶん)この30年間に、よりオリジナルに近い形に修復されたのではと想像します。
 大聖堂の手前に建ち並ぶ建物の外観は、この30年間でほとんど変わっていないようです。一方、メディアマルクト(ヤマダ電機に相当する家電量販店)の看板が見えるなど、テナントの店舗は時代と共に新しくなっているようです。
ヴュルツブルク大聖堂
写真4-3-5
 左の写真は大聖堂の東面。単純な円弧のアーチ、仰高性が強くない尖塔などロマネスク様式の特徴が色濃く出ています。
 こちらもネットで最新の画像を見ると色合いが変わっています。また手前に大木が茂っていて、このように建物の外観を一望できる写真は貴重かも(笑い)。
中央駅  大聖堂で述べたように、駅舎も例外では無く、第二次世界大戦で破壊。ドイツでは元通りに復元される例が多いのですが、駅舎は1954年、写真のように現代建築様式で再建。最新の画像と比較しても、左端のDBのマークが黒から赤に変わったくらいで変化はありません。シンプルな飽きの来ないデザインは、今見ても古さを感じさせず、個人的には好感を持てます。
 ただドイツ人には無味乾燥なデザインに写るらしく、更に使い勝手もあまりよくないことから、不人気のようです。
ヴュルツブルク中央駅
写真4-3-6
ヴュルツブルク中央駅
写真4-3-7
 Wiki(※、日本語)によれば、写真右手にあるキリアンの噴水(1895年7月除幕)は、老朽化のため2007年に解体・修復工事を受けたとのこと。旧駅時代から残る唯一の構造物で、撮影時点で86年経っていることから、老朽化が相当進んでいたのでしょう。
ヴュルツブルク中央駅  最後の写真4-3-8は、今回の旅行で撮影。時計の文字盤が複線になっているので、線路を表しているのでしょう。さりげなくこだわったデザインに感心します。
写真4-3-8
4-4 Nachwort あとがき
1.フライブルク
 ネット検索すると、日本語によるフライブルクの情報は、私が情報発信するまでもなく多数。玉石混淆、様々な情報があふれています。あとは出かけるのみ。さすが環境首都と言われるだけあって、環境メニューの豊富さ、徹底ぶりは群を抜くものがあります。環境保全や都市計画に関心のある方にはお勧めします。是非お越しいただてご自分の五感で現地を感じて下さい。
 初めてドイツへ行った弟も、趣のある建物・店舗・飲食店が並ぶ市街地散策が楽しいのか、ここはお気に入りだったようです。
シュヴェリーン城 2.ロストック、シュトラールズント
 一方、こちらの日本語による情報は少な目。勢いドイツ語による情報にあたらなければならず、お粗末なドイツ語力で四苦八苦しました。
 ここはドイツの主要観光地から離れた北東の端だし、まだまだ日本人には馴染みが薄いようです。私も知人が住んでいなければ行くこともなかったことでしょう。こちらは積極的に情報発信して、まずはどんなところか知ってもらいたいと思いました。いずれ沿岸部が洋上風力発電のメッカになるような事になれば、日本からの視察が増えるかもしれません。
 また長崎や佐世保と同じ港町なので、丹念に探すと、仕事のヒントが隠されているのではないかとの予感があります。次回はじっくり探索してみたいと思います。
 ロストックまでは首都ベルリンから北へ約200km、列車で2時間半~3時間。ハンブルクから東へ約150km、列車で約2時間。この付近はドイツ人にとって夏のリゾート。近郊には、
●ハンザの古都シュヴェリーン
●2007年にG8(主要8カ国首脳会議)が開催されたバルト海に面したビーチリゾート・ハイリゲンダム
●その近くには日常の足として使われているSL・モリー鉄道も。

左の写真3枚は、2008年夏に娘が撮影。
写真4-4-1 シュヴェリーン
ケンピンスキー・グランド・ホテル・ハイリゲンダム Kempinski Grand Hotel Heiligendamm
写真4-4-2 ハイリゲンダム
SLモリー鉄道
写真4-4-3 SL・モリー鉄道
3.20年ぶりのドイツはカルチャーショック
 日本もこの20年で変わりましたが、ドイツも変わりました。現地情報はネットで得られますが、実際に行って初めて気づく事も多く、浦島太郎状態です。
日本も地方色が薄くなって、全国展開のチェーン店が津々浦々にありますが、同じ事はドイツにも。マクドナルドやスターバックコーヒーは言うにおよばず、100均、1,000円カットなどもあって、国境を越えたグローバル化は凄まじいスピードです。
ミュンヘンからケルンへ向かう列車で、私は弟に「車窓から『ローレライの岩』が見られるよ」と説明。ところが高速列車は、フランクフルト中央駅にも寄らず、いつの間にかケルンに到着。かつて列車はライン川に沿って走っていましたが、路線図を見ると新線が建設され、高速列車はこの「パイパス線路」を突っ走って行きます。
 右の写真は30年前に列車の車窓から撮影したローレライの岩。次回は、じっくりライン川下り観光船に乗るか、鈍行列車に乗りますかね。
ローレライの岩
写真4-4-4 ローレライの岩
4.なぜドイツ?
 私がドイツ・フリークであることを、知人・友人は知っているため、「家族同伴ではなく、弟と行く」事だけ説明すればよかったのですが、弟は大変だったようです。職場を2週間も空けるため「なぜドイツなのか」「ドイツへ何しに行くのか」と関係者一人一人から聞かれ、1から説明したそうです。この方々にもこのサイトを見てもらえば、兄弟旅の全貌が分かってもらえますかね。
5.皆様に感謝
 働き盛りの兄弟二人旅。2週間も職場を空けてしまい、理解ある職場の皆様に感謝すると共に、留守宅を守ってくれた家族に感謝します。次回は連れて行くからね~。
 雑多な内容の旅行記を最後までお読みいただきありがとうございました。
2012.2.4掲載、5.12最終更新
3ページ目へ戻る 1ページ目へ移動 2ページ目へ移動 3ページ目へ移動 ご覧になっているページ
3.Freiburg Rostock Stralsund Freiburg Würzburg
PR
長崎総合鑑定株式会社(このサイトを離れ、別の画面が開きます)
CS(補償ソフト共同利用)研究会(このサイトを離れ、別の画面が開きます)
 


Copyright(C)2012 幸福裕之 All rights reserved