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Eine Deutschlandreise 2013 ドイツ旅行 (5/5)
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Inhalt 目次
1 Bis Berlin ベルリンまで
2 Berlin ベルリン
3 Um Berlin ベルリン周辺
4 Heiligendamm~Köln ハイリゲンダム~ケルン

5 Um Köln ケルン周辺
5 Um Köln ケルン周辺
旅も終盤。10日目はレンタカーでオランダとの国境に近い、高速増殖炉跡地のテーマパーク、ワンダーランド・カルカーと、社会見学としてネアンデルタールを回ります。今日のケルンの天気予報は晴れ、予想最高気温は22度、最低気温は6度。朝晩は低めですが、日中は小春日和のようです。
5-1 Wunderland Kalkar ワンダーランド・カルカー
5-2 Neanderthal ネアンデルタール
5-3 Stuttgart シュトゥットガルト
5-4 Nachwort あとがき
5-1 Wunderland Kalkar ワンダーランド・カルカー
●乗り放題、食べ放題、飲み放題のテーマパーク
写真5-1-1 写真5-1-2
宿からワンダーランド・カルカーまでは125km、1時間半のドライブ。
左:日曜日の8時半過ぎなので、高速道路はスカスカ。平地なので基本的にアップダウンはなく、ひたすら平坦な道を走ります。天気もよく快適なドライブでした。
右:到着数分前一般道を走行中、リアシートに座る弟が撮影。ハンドルを握るのは私。助手席に座る甥っ子の足が写っています。
写真5-1-3
写真5-1-4
左が原子炉建屋、右が冷却塔。一見すると発電所そのもの。中央に見える「Hotel」の看板が場違いな印象を受けます。詳細はWiki(※、日本語)に譲るとして、プルトニウム燃料は搬入されないまま廃炉となったため、放射能の心配は皆無だそうです。
右は駐車場で。甥っ子は、ベルリンで買った「I Love Berlin」のトレーナーを早くも着ています。
ナビで検索するとオランダ国境までおよそ15km。アムステルダムまで144km、1時間半程。駐車場に停まっている車の半分ほどはオランダ・ナンバーです。
写真5-1-5 写真5-1-6
写真5-1-7
観覧車に3人で乗ります。甥っ子がいてよかった。オジサン一人。又はオジサン兄弟二人では場違いな感じ。遊具は幼児から大人まで楽しめるおよそ40のアトラクションが用意されています。
左:冷却塔には山が描かれ、ロッククライミングができます。内部は回転遊具があります。左側はライン川。
右:原子炉建屋はホテルになっているようです。
写真5-1-8 写真5-1-9
園内のあちらこちらに置いてあるキャラクター人形。実は目玉から開くゴミ箱でした。
写真5-1-10 ゴーカート 写真5-1-11 スプラッシュ
写真5-1-12
左:ゴーカートだけは有料で1回6ユーロ。客同士のレース形式。甥っ子と勝負し、年甲斐もなくエキサイトしちゃいました。
右:弟は、この遊園地に来るまでに車酔いしてしまい、観客状態でしたが、息子にせがまれて退園前にスプラッシュだけには乗りました。びしょ濡れになりながらも笑顔でした。
写真5-1-13 写真5-1-14
写真5-1-15
左:甥っ子(左端)がロッククライミングに挑戦。ハーネスを付けた後、女性インストラクターがドイツ語で登り方を説明します(英語でも、オランダ語でもOKのようでした)。それを私が甥っ子に通訳。
右:甥っ子は最初左のコースを登りました。あまりにやすやすと登っちゃったので、インストラクターが右も登ったらと勧めてくれて、右のコースを登っている最中。他の子達は1回づつだけだったので大サービス。素人目に見ても右のコースの方が難易度が高そうでしたが、それもあっけなく登っちゃいました。この運動神経の良さは誰に似たのかな。私達兄弟の血筋じゃ無いみたい。私は甥っ子に腕相撲も負けちゃいました。
写真5-1-16、17
左2枚は冷却塔の中。回転ブランコが設置されています。建物の形状からして妥当な設置だと思います。閉鎖的で閑散としているため、少々異様な雰囲気でしたが、音を立てたり、声を出すと反響して面白かったです。
写真5-1-18
写真5-1-19
右のフライドポテト、ソフトドリンク各種、ソフトクリームが食べ放題・飲み放題。甘い物に目がない私としては、ソフトクリーム食べ放題は嬉しい。
日曜日とあって食べ物を提供するスタンドの前には長い行列。ひたすらフライドポテトを揚げる従業員は大変そう。
右は、一通り園内を回って満足そうな弟親子。
さて、これで終わったら、わざわざオランダ国境近くまで来た意味が無いので、園内にある高速増殖炉の展示も紹介します。
高速増殖炉の展示
写真5-1-20 蒸気タービンの羽根車 写真5-1-21
高速増殖炉SNR-300は、Wiki(※、日本語)によれば、日本のもんじゅと同時期に運転される予定だったものの、本格運転に至らないまま廃炉になったとあります。SNRはSchneller Natriumgekühlter Reaktor(高速ナトリウム冷却原子炉)の略。
左:案内板によれば「Läufer der SNR-300 - Dampfturbine(SNR-300の羽根車-蒸気タービン)」 Läuferはもともとlaufen(走る)から派生した走る人といった意味ですが、こんな意味もあるんですね。
右:Brüter Museum(増殖炉博物館)。博物館の入り口に掲げてあった案内板。ドイツ語とオランダ語の2ヶ国語で表示がありました。「この博物館の建物は、地震、洪水、ガス爆発、航空機の墜落に対して安全なので、安心して楽しんでください。」とあります。ちょっとブラックな表現ですね。遊園地となってからは過剰な強度ですが、原子力施設は建物ひとつとっても、一般の建築物からすると破格のコストがかかっていることがわかります。館内は分厚いコンクリートに覆われているせいか、ひんやり。
写真5-1-22 写真5-1-23
左:敷地模型と原子炉の断面図。
右:映像やいろいろなイラストを使ってわかりやすく説明あります。ただ「先端技術」だったはずなのに、今となっては過去の技術となってしまい、なんだか「歴史博物館」の様相です。
それでは、ケルンへ帰る途中、デュッセルドルフ郊外のネアンデルタールへ寄ります。カルカーからネアンデルタールまで100km。1時間10分。
5-2 Neanderthal ネアンデルタール
●世界史の教科書に出てくる場所を訪ねる
写真5-2-1 ネアンデルタール博物館
写真5-2-2
世界史の授業で習ったように、化石が見つかった場所の名前をとって「ネアンデルタール人」。その故郷がドイツだと知って、行ってみたいと思いました。いきなりですが、ネアンデルタールを分割すると①ネアン・デルタール? ②ネアンデ・ルタール? ③ネアンデル・タール? 
恥ずかしながら私は長年①だと思っていました。しかしドイツ語を勉強して③だとわかったんです。タールは谷。だからネアンデルタールとはネアンデル谷。
実際に行ってみると、確かに起伏にあふれた緑豊かな「渓谷」でした。上の写真はネアンデルタール博物館。
右はネアンデルタール人の銅像。忘れてました、ホモサビエンスの日本人も写っています(笑い)。
写真5-2-3 写真5-2-4
その近くにカフェ・レストランがありました。そう言えば、今回の旅行では、こんな森林地帯への行程を組んでおらず、思いがけないすがすがしい雰囲気に、博物館へは入場せずにここで休憩。テラスで夕食をとってもよかったのですが、キッチンは閉めたとウェートレスの説明。日本ならオーダーストップ。飲み物は提供できるとの事でしたので、鳥のさえずりや新緑に囲まれて休憩することにしました。
写真5-2-5 写真5-2-6 写真5-2-7
左:弟の黒ビール。
中央:運転中の私は生クリームをたっぷり添えたアイス。この写真には、正面に座っている甥っ子の「いい年をしたオッさんがこんな甘い物を大盛りで食べるのかよ」という呆れた表情も写っているのですが、本人に遠慮してアイスだけをトリミングしました。確かにそのとおり。日本じゃ私も恥ずかしくて手が出ません。でもドイツだと全く違和感なし。老若男女、平然と甘い物をパクついています。私にとっては天国なのだ。
右:甥っ子はホットコーヒー。確かに私と甥っ子の飲み物は逆のほうが納まりがいいかも。
レンタカーで回る機動性があるからこそ、こんな素敵な場所へ手軽に来ることが出来ます(ネアンデルタールへは鉄道もあります)。あまりにゆったりした雰囲気に長居したい気分。アレレ、世界史の教科書に出ている場所へ「社会見学」を目的として来たはずなのに、早くも放課後気分。
それではケルンへ戻ります。37km、およそ35分。
写真5-2-8 写真5-2-9
写真5-2-10
写真5-2-11
左:これがドイツ最後のディナー? あまりに見苦しくてお見せしたくないのですが、自分たちの覚え書きのため掲載させて下さい。昨日、学生さん達を迎えるためビールを用意していたのですが、思いがけずデュッセルドルフの地ビールを差し入れてもらったため、用意していたビールが余ってしまいました。今日はドイツ最終夜。飲み干してしまわないといけないので、ドナーケバプ、サラダ、デザートのアイスなどを買ってきて「中食」。
右:ケルン中央駅のそばにあるカレーソーセージのスタンドを昼間に撮影した写真。夜も更け「中食」の後、弟とこのスタンドに行って、ビールとカレーソーセージを味わい、ケルン中央駅に到着・出発して行く列車を眺めながら、「日本へ帰りたくない!」とドイツへの哀愁に浸りました。そんな悲壮感をはね除けて、また何度でも来ればいいんですけどね。
写真5-2-12
これは宿の近くのトゥニス通りTunis str.から大聖堂と中央駅方向を撮影。この景色も「しばらく」見納め。
5-3 Stuttgart シュトゥットガルト
●最終日は珍道中
ドイツ11日目。早いものでもう帰国の日。帰りたくないけど、悲しいかな帰らなければなりません。フライトの20時45分まで残り一日を十二分に楽しむこととします。今日のケルンの天気予報は晴れ、予想最高気温24度、最低気温8度。だんだんと九州並みに気温が上がってきました。でも湿度が低いので爽やかです。
ケルンからフランクフルト国際空港まで180km、2時間程度。当初の予定では、ケルン近郊や弟のリクエストに応えて塗装メーカーなどを回ってボチボチと、夕方にフランクフルト国際空港にたどり着くコースを考えていました。
ところがヴォルフスブルクのアウトシュタットへ行って点数を上げた私、叔父さんは気をよくして、最終日も予定変更してシュトゥットガルトのポルシェ・ミュージアムまで車を走らせる事にしました。打ちのめされる事になるとは知らずに・・・。
シュトゥットガルトへはケルンからフランクフルトを通り越して南へ約370km。
写真5-3-1 高速3号線 写真5-3-2 高速6号線
左:ケルンを出発しておよそ1時間。高速3号線を南下していくと、高速鉄道の高架橋と平行して走る区間が現れます。2年前はこの高架を走る列車に乗りました。
右:フランクフルトを過ぎると高速6号線。写真はハイルブロンの手前。右側の冷却塔は、航空写真で調べるとハイルブロン火力発電所(Heizkraftwerk Heilbronn)。シュトゥットガルトまであと1時間ほど。
お昼前、ポルシェ・ミュージアムに到着。でも駐車場のゲートが開きません。が~ん、月曜休館だった!急遽予定を変更したため、うっかりしていました。最後の最後に奈落に落とされた気分。叔父さんの点数は一気にマイナス。あまりのショックにポルシェ・ミュージアムへカメラを向ける気になれず、写真はありません。
ドイツの博物館等はたいがい月曜休館なので、近隣の博物館なども休み。できれば月曜日でも開いているアウトレットなどをネット検索するとよいのですが、もっぱらホテルのWifi利用で、モバイルまでは準備していなかったのでインターネット接続ができず、ぱらぱらとガイドブックを見て、近郊のゲッピンゲンにある鉄道模型のメルクリン博物館へ行くことにしました。
●メルクリン博物館へ予定変更
写真5-3-3 写真5-3-4
写真5-3-5
さ~て、気を取り直して、ゲッピンゲンへ。ナビに従って目的地だという場所に到着したものの、看板などがないため、どこかわかりません。一旦車を道路端に停めて、付近をよく観察したら、道路の反対側がこぢんまりとした博物館でした。
左:本物の車両も屋外展示。
右:大きな鉄道模型のジオラマが展示されています。年少のお子さんを連れた日本人家族もいたので、鉄道好きにはたまらないでしょうね。
写真5-3-7 30数年前
写真5-3-6
写真5-3-8
左の写真5-3-8のように車なども展示があります。Wiki(※、日本語)によれば、かつてブリキ製の玩具を多数生産していたらしい。
で、私が買ったのは鉄道模型ではなくバーゲン品のパトカーのミニカーをひとつ。ちっぽけな買い物なのに、左上写真5-3-6の立派な袋に入れてくれて、買った私が恐縮。このページを作りながら、この袋の写真が何故か懐かしくなりました。
確か30数年前語学研修の合間に西ドイツ各地を回ったときによく乗った列車みたい。機関車は優等列車インターシティの塗装ですが、客車は普通列車。この袋の機関車をネットで検索するとドイツ鉄道218型ディーゼル機関車で、1968年~1979年に、400両以上製造され、非電化区間の主力とあります。日本では非電化区間はディーゼルカーですが、ドイツはよほどのローカル線でもない限り機関車+客車だったので、当時頻繁に乗っていたはずです。それで当時の写真をチェックしたら、色違いですがウルム中央駅で撮影した写真がありました(右の写真5-3-7)。重連です。
写真5-3-9
ハイデルベルクに降ろされる
さてメルクリン博物館の後は、途中サービスエリアで軽い昼食を取って(右写真、弟親子)、フランクフルト国際空港へ向かいます。ポルシェ・ミュージアムの落胆を引きずって、落ち込んでしまいハンドルが重いこと。
途中、ナビはハイデルベルクに近づくと、高速道路が渋滞しているせいか、一般道へ降りるコースを指示します。ナビに従うことにしました。ただ降りてみると、多くの車が一般道へ降りてくるせいか、流れはよくありません。
写真5-3-10 写真5-3-11
ハイデルベルクは、ドイツで一級の観光地。「ドイツ周遊の旅○日間」には必ずと言っていいほどコースに含まれる歴史が刻まれた古都です。
私は30数年前、一人でここを訪れて旅情あふれるロマンチックなドイツ最古の大学町なのでぜひカップルで来たいと思い、新婚旅行で再び訪れました。いかにも古き良きドイツを満載したおすすめの観光地です。カップル向きといえば、イタリア・ヴェニスのゴンドラがピカイチでしょうね。脱線してしまいましたが、そんな第一級の観光地を、私は2回訪れているので素通りしても悔いはないけど、弟と甥っ子にはちょっと申し訳ない気分です。
ナビは現在地としてバーンシュタットBahnstadtを指しています。バーンシュタットとは廃止になった貨物駅の再開発で、環境にやさしい住宅地を作ろうというプロジェクト。以前から訪れてみたいと狙っていたのですが、かすめて通り過ぎるとは残念。
写真5-3-12 写真5-3-13
写真5-3-14 絵はがき
写真5-3-15
左:車はマイン川の支流ネッカー川を渡ります。右手がハイデルベルク。
右:弟に頼んで、ネッカー川に架かるエルンスト・ヴァルツ橋Ernst-Walz-Brückeの上からハイデルベルク方向を狙ってもらいました。掲載写真の原版を拡大して見ると、丘の上のハイデルベルク城の一部らしきものが認められます。なお掲載写真はホームページ用に画素数を落としているため、拡大しても荒くなるだけですのでご了承ください。それで、代わりに過去に買い求めた絵はがきを掲載致します(写真5-3-14)。
このようにハイデルベルクは車窓観光すらできずに通り過ぎてしまい、フランクフルト国際空港向かいます。
左写真の道路標識をご覧ください。フランクフルトまで58km。そのまま北上するとケルンまで225km。そのままケルンへ戻りたい気分です。
フランクフルト国際空港は空港自体が大きいし第一と第二の二つのターミナルそれぞれにレンタカーの返却場所があるため、昨年夏は空港に着いたもののレンタカーの返却に30分ほど空港内をうろうろしてしまいました。今回は、それに懲りてグーグル・ストリートビューで繰り返しコースを確認。その甲斐あって走り慣れた道のように迷うことなく返却場所へ到着。全行程2,500kmのドライブを無事終えることができました。今回も天候に恵まれ傘を使う場面はありませんでした。
●名残惜しいフランクフルト国際空港
写真5-3-16 写真5-3-17
写真5-3-18 写真5-3-19
空港でチェックインの後、トランジットエリアで夕食。フランクフルトなのにミュンヘン名物の白ソーセージがあったため、甥っ子に試食してもらいたいと思い注文しました。アレレ、ビールは飲まないのとの心配は無用。写っていないだけです(笑い)。右写真5-3-18の左側が私。無事全行程を終えて、肩の荷が下りた笑顔です。
写真5-3-20
ANA NH210便フランクフルト20:45発が待っています。異国で会う日本の航空機には、ひときわ愛着を感じます。機材はボーイング777-300。飛行機はほぼ定刻どおりフランクフルトを飛び立ちました。
今回撮影した写真は左で終わり。旅の充実感と疲れからか機内食も成田空港も撮影していません。
帰りは窓際の二人席を予約していました。弟親子が座り、私は見知らぬ人と相席。声をかけたところ北欧出身の若い女性で、これから仕事で数ヶ月初めて日本へ行くとのこと。しばし英語で会話を楽しみました。
日付が替わって12日目の午後、飛行機は定刻通り成田着。そして福岡へ乗り継いで、病気・怪我・紛失・盗難・物乞い・押し売りなどなく、最終日の珍道中と下で無様ぶりをさらすウィルスを除けば13日間のドイツ旅行を無事終え、私、弟親子それぞれの我が家へ帰宅しました。
5-4 Nachwort あとがき
●遊びが目的ならファンタジアランドがおすすめ
ケルンの近郊には、ドイツのディズニーランドと言われる(褒め過ぎか?)ファンタジアランドPhantasialandがあります。でもそこへ行っても単なるレクレーションで面白くないし、せっかく脱原発の旗を掲げている国に来たので、高速増殖炉跡地のワンダーランド・カルカーにしました。旧施設をそのままに遊具を配置するとはユニーク。先々日本も、一時代の記念碑として原発をこのような形で残すといいかなと思いました。
ただファンタジアランドもいずれ訪れるつもり。好きなドラマのロケ地だったので(笑い)
●馴染みがありながら観光していないハイルブロン
シュトゥットガルトへ向かう途中で紹介したハイルブロン。このハイルブロンという地名は、私にとってことのほか馴染み深い地名なんです。30数年前、初めてドイツへ行って語学研修を受けたシュベービッシュ・ハルSchwäbisch Hallから鉄道で西行きの列車に乗るとハイルブロン駅を通ったり、乗り換えたりします。当時は週末毎に各地へ旅行していたので、毎週のように通っていたはず。でも、当時持っていた日本語のガイドブックでは取り上げられていなかったので、駅を出て市内を観光したことはないし、駅の写真も1枚もありません。ただ記憶の中に地名があるだけ。現行の日本語ガイドブックでは紹介されているので、いずれ訪れてみたいものです。
●ウィルスにやられた!
病院に担ぎ込まれた訳ではなく、うかつにも持参したパソコンがウィルスに感染しちゃいました。
まず今回のネット環境について、各宿の無線Lanを使いました。いずれも無料でした。
1.最初のベルリンの宿は、問題なくアクセスできましたが、数時間経つと遮断されます。無線Lan親機(アスセスポイント)を立ち上げ直すと、正常に戻りますが、親機は共用廊下の鍵がかかった納戸にあるため、管理人にいちいち言わないと対応してくれないので、閉口しました。
2.次のハイリゲンダム。ここは有線lan。私はノートパソコンだったので問題なかったけど、弟親子はタブレットやスマホだったので、有線Lanを無線lan化できる小型ルーターを用意すべきでした。
3.最後のケルンは、予約したとき無線Lanと書いてあったのですが、レセプションで「あなたが泊まる棟は無線Lanの電波が弱いので、これをどうぞ」と、「USBタイプのデータ通信端末」を貸してくれました。パソコンに差し込むと専用ソフトがインストールされます。当然ドイツ語です。酔っぱらって作業するから、何となくクリックしていたみたい。このときセキュリティーソフトが一時的に解除されていたみたいなんのです。そしたら、余計なクリックをしたみたいでセキュリティーソフトに化けたウィルスに感染しちゃいました。
その時点でパソコンの利用を諦め、日本に帰ってからリカバリー・ディスクで工場出荷時状態に戻しました。うかつでした。長年パソコンは使い、十分な対策と慎重な対応でウィルスに感染することはなかったのですが、「旅行の浮かれ気分で」気が緩るんでいました。幸いデジカメからパソコンのマイピクチャーに移していた写真データは救い出せました。この教訓として、
●ドイツといえども宿の無線Lanはあてにならない。移動中のアクセスも考えると、無線データ通信を用意すべき。観光旅行ならともかく、ビジネスだと必須でしょうね。
●大切なデータは必ずバックアップを取っておくこと(基本中の基本ですよね)
●ソフト(アプリケーション)のインストールは慎重の上にも慎重に(事故を未然に防ぐ安全運転と同じですね)
●おみやげ
写真4-5-1 写真4-5-2
お土産はいろいろ買いましたが、ここでは一般的なものを紹介します。
左:クーヘンマイスターKuchen Meisterのケーキ。その4で紹介したCITTI-Marktで1.67ユーロ(217円)。昨年夏、実家の母にこのメーカーのレモンケーキを買って行ったら、美味しかったのでまた買ってきてとリクエストがありました。1本400グラムなので、重量制限のある飛行機の手荷物としては、多く買えないのが残念。百貨店・大手スーパーならどこでもあります。
右:左から香水の小瓶などをセットした4711のお土産用セット。このセットはケルンの宿のレセプションで買いました。
中央:ハリボーのゴールデンベア。グミは種類が多く、値段も安く、どこでも買えるのでお手軽。
右:知人が勧めてくれた、木の実のような形のサラミ。おつまみに。
●帰省とは
私の実家は車で1時間半程度の所にあるため、月に1度ほどのペースで帰省しています。私にとって「帰省」とは日常生活の延長線でしかありませんので、年末年始やお盆の時期、都会の人が遠い故郷に帰省し、TVで「ゆっくりしてきました」というインタビューを聞いても、イマイチ気持ちがわかりませんでした。
ところが、ここ3年続けてドイツへ行き、なんだか故郷へ帰ったみたいで「これが帰省なのか」と、やっと「遠くの故郷へ帰省する」気持ちがわかったような気がします。仕事を完全に離れ、環境も全く異なった場所で過ごす。この気分転換は格別。また来年も「帰省」できると思うと、辛い仕事も頑張れそう。メリハリが大事ですね。
●ジーパン交換
写真4-5-3
ケルンの宿の前で、甥っ子(左)と私の写真を弟に撮影してもらいました。実はこの写真にはある「隠し事」があるんです。それはジーパン。この日、弟には内緒で、私と甥っ子はジーパンを交換しています。私のウエストは73cm.。甥っ子はウエスト68cmですが、ジーパンのサイズは二人とも73cm。私のジーパンの長さは甥っ子にちょうどよかったですが、甥っ子のジーパンの長さは身長差分だけ私にはあまり気味。
それで意識的に甥っ子と私のツーショットを行く先々で弟に撮ってもらいましたが、気づかれないので、「このジーパン長くない。」と振ってみましたが、違和感がなかったようです。そしてお昼にはタネ明かし。
甥っ子はまだ高校一年生なのでまだまだ伸びるでしょう。こんなことができるもの今だけ。私には息子がいないので、甥っ子との旅行は楽しかったです。
ワンダーランド・カルカーのゴーカートで再勝負、ポルシェ・ミュージアムの訪問、それとサイクリングなどを約束しました。「おじちゃんも年だし、次は私の手を引いて連れて行ってね。」と言ったら、「次回までは連れてって。その先は連れて行くから。」との返事。オイオイまだ2回も一緒に行くつもりなの?その前に立派な社会人になることを願ってます。そして成人したら君のお父さんと一緒にドイツビールを飲みたいね。
なおドイツでは16才から飲酒が可能(但し、アルコール度が高いジン、ウイスキーなどは18才から)。保護者同伴なら年齢制限がなくなるなんて、飲酒を誘発するような話は甥っ子にはしていません(笑い)。
●飲みに行ったの?
そう思われても仕方ないくらい、読み返すと飲む話ばかりでスミマセン。やはりビールの本場だけあって、ビールと気候が非常にマッチしていて、ドイツで飲むビールは格別。秋には地元でドイツのビール祭り「オクトーバーフェスト」があり、本場のビールが飲めます。新鮮なまま空輸するので値段が3~4倍になるのは仕方ないにしても、味わいがイマイチ。だから勢いドイツへ行ったときに「本場のビールを飲めるだけ飲むぞ」になってしまいます。しかも男だけの旅行だから歯止めが利かない(笑い)。
●少しは成長したかな?
3年連続の旅行なので、少しは前2回の経験が生きたみたい。
1.荷物は少なく
とは思っていても、余計な心配をするとどうしても荷物が増えます。今回の荷物は3年前の約半分になりました。今回、行きはスーツケースの半分がお土産。お土産を渡せば、今度はその空いたスペースに日本へ持ち帰るお土産等を入れます。旅行時の気候を前提とした必要とする物などが段々と選別できるようになったので、次回は一回り小さいスーツケースでもいいかなと思います。
弟も前回はスーツケース一杯の手荷物でしたが、今回は同じスーツケースに親子二人分の荷物でしたので、一人あたり半分になった勘定。
30数年前、語学研修の合間、毎週末小さなバックに最小限の荷物を詰めて、ドイツ各地を巡ったことを思い出します。旅慣れるとますます行動力が増すような気がします。
2.ネット環境
旅慣れてくると、普段と同等の通信環境が欲しくなってくるし、旅行の機動性を上げようとすると、ホテルの無線Lanに頼らず、自前で用意した方が効率的みたい。
最近、地元でも外国人を含む観光客から道を聞かれることがなくなりました。みなさんスマホの画面で道案内してもらっているようですね。
3.旅のスタイル
この膨大かつ詳細な旅行記を最後までお読みいただいた皆様へ、ドイツへ旅行したときに少しでもお役に立つようなコメントを最後には書こうかと思いましたが、もともとがマニアックな内容なので悩みました。
でも敢えて一点だけ書かせて頂くとすれば、「ドイツを個人旅行するなら、レンタカーがおすすめ。」よく整備された道路、わかりやすい標識、優秀な英語のナビがあるのでドイツ語ができなくても大丈夫。狭く交通量の多い日本の道路を走り慣れていれば、ドイツでの走行は快適そのもの。ガイドブックでは小さな記事でしかないアクセスの悪い町でも、車ならラクラク行けます。そんな所にそこドイツらしいドイツがあるような気がします。
4.まとめ
旅行記をまとめるのに4ヵ月もかかってしまいましたが、その間旅行の余韻を長々と楽しみました。今回はほぼまるまる休暇旅行。来年春は単身でドイツへ行きます。上で紹介したバーンシュタットなどライフワークである環境関係の先進事例などを回りたいと考えています。
まさか幼い頃、ケンカばかりしていた弟と2度もドイツへ旅行するとは思ってもみませんでした。これも理解ある家族と、親兄弟親族の健康、毎回いやがらずにもてなしてくれるロストックの友人、長期休暇が取れる職場環境などがあればこそ。多くの方々へ感謝の気持ちを申し上げて締めとさせて下さい。雑多な旅行記を最後までお読みいただきありがとうございました。2013.9.20掲載、9.28最終更新。
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Vergangene Artikel バックナンバー
2011 ドイツ兄弟旅行 2011年ゴールデンウィークに兄弟でドイツ旅行をした記録です。
2012 ドイツ家族旅行 2012年夏休みに家族3人でドイツ旅行をした記録です。
 


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