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Eine Deutschlandreise 2013 ドイツ旅行 (3/5)
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Inhalt 目次
1 Bis Berlin ベルリンまで
2 Berlin ベルリン
3 Um Berlin ベルリン周辺

4 Heiligendamm~Köln ハイリゲンダム~ケルン
5 Um Köln ケルン周辺
3 Um Berlin ベルリン周辺
3-0-1
4日目からはベルリンに連泊しながらレンタカーで回ります。予定では南へ約200kmのドレスデンへ日帰り観光でしたが、甥っ子が「漫画・頭文字D」のファンで、車が好きだというので、西へ約220kmにあるフォルクスワーゲングループのテーマパーク・アウトシュタット(カー・シティ)へ急遽予定を変更しました。
私は今後も毎年のようにドイツへ来るつもりだし、次のチャンスでかまいませんが、甥っ子にとっては最初で最後のドイツ旅行かもしれないし、ましてや甥っ子と海外旅行するなんてたぶん無いだろうから、叔父さんの点数稼ぎですね(笑い)。写真は、レンタカーのBMW316d(ディーゼルエンジン)と記念撮影する弟親子。
本日のベルリンの天候は小雨、予想最高気温16度、最低気温7度。少しずつ気温が上がってきました。
レンタカーについて詳しくはロケ地探訪編第三弾その3>BMW316d(F31)をご覧下さい。
実は、恥ずかしながらアイドリングストップの車に初めて乗りました。信号待ちでブレーキを踏むとエンジンが止まります。そしてブレーキから足を上げるとエンジンが始動します。エンジン始動のレスポンスは悪くないので、ストレスはありません。ここまでは想定内。ドイツとはいえ、旅行の後半は晴天続きで気温が上がってエアコンを使っていました。信号待ちでエンジンが止まるとエアコンも止まります。停止が長いと車内はアッと言う間に蒸し風呂。そしたらブレーキを踏んでいても、自動でエンジンが始動してエアコンが動き出すんです。エコを取るか快適を取るか難しいところですが、良く出来た仕組みに感激。
それとLEDのデイライトがエンジンを始動すると常時点灯していました。Wiki(※、日本語)によれば、「EUでは2011年2月以降に最初に形式認定された乗用車はデイライト装着が義務化となった」そうで、対向車でもデイライトの車を多く見ました。
3-1 Autostadt アウトシュタット
3-2 Gedenkstätte und Museum Sachsenhausen ザクセンハウゼン強制収容所
3-3 Filmpark Babelsberg フィルムパーク・バーベスルベルク
3-4 Nachwort あとがき
3-1 Autostadt アウトシュタット
●一日楽しめる車のテーマパーク
写真3-1-1 ベルリン市街 写真3-1-2 ベルリン郊外
写真3-1-3
左:宿の近くのエイビスの営業所に車を取りに行き出発。写真はベルリン市内の8時半頃。平日の朝なので朝のラッシュです。
右:高速に乗ってしばらく走るとご覧のとおり。快適なドライブ。但し、天気予報通り小雨。フロントガラスに小さな雨粒がたくさん付いています。
右のダッシュボードはベルリンを出発して約50分、70kmほど走った時点。時速140km程度で高速道路を快調に走っています。中央下はナビと連動した表示。この先146km先を右へ。つまり高速道路を道なりに146km進み、インターを降ります。オドメーターは2,000km強を示しているので、ぴかぴかの新車。
ナビの表示・音声は英・独があり、ドイツ語で使いました。日本語はありませんでした。
写真3-1-4
途中のパーキングエリアでトイレ休憩して、ヴォルフスブルクにあるアウトシュタットに11時頃到着。ナビは入場口を示してくれますが、駐車場の入り口は別の場所にあるため、車を停めるまで少々時間がかかりました。急遽予定を変更したため準備不足。予定していたドレスデンは、旅行の出発前に観光地に近い駐車場を検索して停める候補も選定し、Googleストリートビューで走るコースの予習をするなど十分用意していたのですが。
写真3-1-5

写真右の丸い2本の塔は、AutoTürme(車の塔)という納車前の車を停める立体駐車場。左はKundenCenter(カスタマー・センター)。テーマパークの入場口までは、一部工事中で迂回させられた事もあり、徒歩10分程かかりました。
右の写真3-1-5に写っている建物は、案内図によればServiceHausになっています。入場口はこの建物の左手に回った更に先。雨は上がりよい天気です。
鉄道を利用すると駅から橋を渡って入場口まで徒歩5分です。
写真3-1-6 写真3-1-7
●自動車博物館ZeitHaus(時代の家)
午前中は、博物館を見学。フォルクスワーゲングループの車のみならず、車の誕生からの名車が並んでいます。
展示車の一部をロケ地探訪編第三弾その3>アウトシュタットで解説しています。
写真3-1-8 写真3-1-9
目をふと博物館の外へ向けると園内の美しい緑と各パビリオンが見えます。一般的に博物館は閉じた空間ですが、ここは全面が窓。勝手な想像ですが、もともと車は屋外で使う物なので、できるだけ本来の環境に近い姿で見てもらいたいと計画されたのではと思います。でも車の劣化対策、窓の清掃など、維持管理は大変そう。
左:左端は園外のフォルクスワーゲンの工場。右手はホテルThe Ritz-Cartion。
右:中央の四角い建物は、ランボルギーニのパビリオン
お昼はフォルクスワーゲンのカレーソーセージ
写真3-1-10 写真3-1-11
博物館の後、お昼にしました。ネットにこのテーマ・パークのカレー・ソーセージが美味しいとあったので、食べられる場所を係員に尋ねたら、それはカスタマー・センターのカフェテリアだろうと言うので、敷地の反対側にあるカスタマー・センターへてくてく歩いて行きました。
左:カスタマー・センターに着きました。TACHOmeter(タコメーター)という名のカフェテリア。名物のカレーソーセージと、黒板の今日のメニューに書かれているKartoffel-Orangencremesuppe mit Brötchen(ジャガイモとオレンジのクリームスープ、小さなパン)3.9ユーロを注文しました。
写真3-1-12
右:写真奥がそのカレーソーセージ。メニューにはわざわざ「VW-Currywurst(フォルクスワーゲンのカレーソーセージ)」と書かれていて、自信作らしい。6.5ユーロ。手前は今日のメニューのスープ。
飲み物はHärke Alsterというノンアルコールビール50%と、レモン炭酸水(レモネード)50%のシャンディ・ガフの一種。Wiki(※、日本語)によれば、ドイツ南部では「Radler(ラドラー)」、北部では「Alsterwasser(アルスター・ヴァッサー)」と呼ぶらしい。以前TV番組で、ビールの苦みが苦手な若者に人気だと紹介されていました。帰りの運転までまだ間があるのでビール1杯程度なら大丈夫だと思いますが、ここはグッとこらえて。その分デザートはしっかり(右写真、1.90ユーロ)。運転しない弟は飲んでもかまわないのですが、私に遠慮したみたい。なお甥っ子はコーラです。
写真3-1-13 園内
写真左手の建物が入場口がある本館。敷地は28ヘクタール。東京ディズニーランドの約半分(注)の敷地に車だけのテーマパークですから、大きさが想像できると思います。敷地の1/4を占めるのではと思われる人口湖。美しく手入れされた庭園。個性あふれるデザインのパビリオンの数々。いかにもドイツ人らしい計画とそれを維持管理する熱意。ただ優等生過ぎてスキがない感じで、緊張感を強いられイマイチ落ち着けません。一日たっぷり回れる広さですが、一日居ようという気になれません。何故だろう、これだけ緻密に計画されたであろう空間なのに。
いろいろ考えてみて、建物が庭園に対して勝ちすぎている感じがします。2000年にオープンして13年。もう少し木々が生長し、木陰が増えて、建物が木々の間に見え隠れするようになれば、建物と庭園(自然)とのバランスがとれて落ち着くだろうなと思います。オープンした時が完成ではなく、数十年後の完成目指して手を入れていく。きっとそんな考え抜かれた計画があるのではと思います。20~30年後に再訪してみたいものです。
注:東京ディズニーランド51ヘクタール。東京ディズニーパーク(ディズニーランド&シー)100ヘクタール、ハウステンボス150ヘクタール。
写真3-1-14 写真3-1-15
左:ポルシェのパビリオン。人造湖と一体となったシャープな造形は、ポルシェの先進性を表現しているのでしょうか。建家というより、巨大なオブジェの中に展示スペースがあるような感じがします。なお、各パビリオンは現行車の展示です。
右:弟の解説によれば回り続ける遊具
写真3-1-16 写真3-1-17
左:ランボルギーニのパビリオンでは、外壁の一部が巨大な回転戸になっていて、その戸に貼り付けられた写真の車が、定期的に外に出たり、内に入ったり。アトラクションで流れる大音響のエンジン音が、この車の魅力のひとつでしょう。
右:フォルクスワーゲンには二つのパビリオンがあって、ひとつは日本で見るような乗用車。もう一つはVW Nutzfahrzeuge(輸送[営業用]車両)。展示物を見る限り、乗用車以外の車が展示してあるようです。日本には乗用車以外なかなか入ってこないで、改めていろいろなカテゴリーの車を作っているメーカーであることがわかります。
私たちは駆け足で全体を回りましたが、「カータワー・ディスカバリー」という、車の塔の内部を自動車と同様にコンテナに乗って運ばれるアトラクションもあり、車好きの方は一日たっぷりと楽しめると思います。私たちはひととおりパビリオンも見終わって、14時頃ここを離れベルリンへ戻りました。戻った後はその2>ポツダム広場~クーダム。
3-2 Gedenkstätte und Museum Sachsenhausen ザクセンハウゼン強制収容所
●強制収容所の総本山
5日目はレンタカーで、宿から約40km北にあるザクセンハウゼン強制収容所~ポツダム・フィルムパーク・バーベスルベルクを回ります。
本日のベルリンの天候は晴れ、予想最高気温16度、最低気温7度。昨日と同じです。
写真3-2-1 朝食 写真3-2-2 町並み
左:まずは腹ごしらえ。人様にお見せするには見苦しい限りですが、自分らの覚え書きのため敢えて掲載させて下さい。写真上のパンは、近くのパン屋さんへ朝から買い出しに行きました。手前はクノールのKartoffel Lauch Suppe(ジャガイモとネギのスープ)。スーパー・カイザースで買ったもの。右端にはドイツの朝食では欠かせないNutella(ヌテラ、チョコレート風味の甘いスプレッド)。旅行で余れば持ち帰るつもりで買いました。
右:宿の部屋からの眺め。ゴクゴク普通の中層アパートが建ち並ぶ住宅街。ありきたりの風景に加えありきたりの朝食。実はこれがいいんです。こんな雰囲気のなかで、1ヵ月くらい市民大学講座や図書館に通って、ドイツ文化の刺激を受けてみたいというのが私の夢。付き合わされた弟や甥っ子には迷惑な話でしょうが。
写真3-2-3 インフォメーションセンター 写真3-2-4
宿からナビに従って走ります。高速道路から一般道へ降りると、一般住宅地の街路を走ります。こんな先に強制収容所があるの? と心配になりつつナビを信じて通りを右に曲がったら、突然空が開けました。
左:インフォメーションセンター。下の配置図の赤いところです。入場は無料。パンフレット(日本語はありませんでした)などを頂く場合は、寄附金箱が置いてあります。
オーディオガイド3ユーロはドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、オランダ語があります。
右:一旦インフォメーションセンターを出て、この塀のような仕切の間を通って左へ歩くと収容所とミュージアムです。2枚とも逆光で見づらくて申し訳ありません。
以下、ドイツ語のパンフレットやWiki(※、日本語)などを参考に解説します。
写真3-2-5
インフォメーションセンター前にあった案内板。収容所は1辺が約600mの二等辺三角形になっています。これから8番ミュージアム、10番監視塔付き入場口(Eingang zum Häftlingslager "TURM A"), 22番囚人用調理場(Häftlingsküche、現在は展示館)まで行きます。
建物は多くが粗末なバラックだったためほとんど残されていないか、再建されたものです。
10番監視塔付き入場口の前が点呼広場(Appellpatz)。広場を中心に68棟のバラックが扇形に4列配置されていました。
写真3-2-6
これを見ると、収容所の周囲にはナチス親衛隊や看守の官舎など多くの施設があったとがわかります。また、強制収容所総監本部もあったそうです。
写真3-2-7 10番監視塔付き入場口 写真3-2-8 入場口の鉄扉
左:10番監視塔付き入場口が見えてきました。右手に8番ミュージアムがあります。
右:入場口の鉄扉。ここにも「Arbeit Macht Frei(働けば自由になる)」の標語が。写真は入場した後振り向いて撮影したので、文字は裏返しになっています。
写真3-2-9
入場して左へ向くと、案内板に示されていた34番患者区域バラック(Krankenrevierbaracken、復元)。左手には鉄条網、その外側には看守が見回る幅2mの巡視路。その外側には高さ2.7mの障壁。
写真3-2-10
入場して正面に見える中央の塔は、1961年東ドイツ時代に建てられた高さ約40mの記念碑「国立 記念及び追悼地」(Mahnmal der "Nationalen Mahn- und Gedenkstätte")。昨年夏に再訪したブーヘンヴァルト強制収容所(2012ドイツ家族旅行その5>強制収容所)にも旧東ドイツが建てた巨大なモニュメントがありました。共産党時代の特徴でしょうか。
塔の右側の平家建は、常設の展示施設となっている22番囚人用調理場。
塔の左側の平家建は、学習ホールとなっている22番囚人用洗濯場(Häftlingswäscherei)
周囲にはサーチライトと機関銃を装備していたという監視塔がいくつも建っています。
塔の方へ歩いていくと記念碑がありました。次のように書かれています。
写真3-2-11
HINRICHTUNGSSTÄTTE
Standort des galgens Hinrichtungen fanden vor allen Gefangenen des Lagers statt.

処刑場
ここは収容所の囚人全てを集めた前で絞首刑が行われた場所である。
わずか数十年前に、このような狂気が行われたことを思うと、心が痛みます。また負の遺産も真摯に保存するドイツ人の努力に敬意を払わずにはいられません。
3-3 Filmpark Babelsberg フィルムパーク・バーベスルベルク
●ポツダムにある映画村
ザクセンハウゼン強制収容所から、ベルリン市街を縦断する高速道路を経由してポツダムにあるフィルムパーク・バーベスルベルクへ向かいます。ポツダムまで約60km、約1時間のドライブです。
写真3-3-1 写真3-3-2
右:ザクセンハウゼンを出ると間もなく高速111号線に乗ります。テーゲル付近はカーブが続き時速60kmの制限。車線も狭い感じを受け、トンネルや分岐・合流も多く、ベルリン近郊なので車両も増えて日本の都市高速道路みたい。今回走った自動車専用道路の中でもこの区間は特に神経を使う場所です。昨年夏もこの区間を走りましたが、2回目だったためか少しは余裕が。
写真3-3-3 写真3-3-4
左:難所を抜けるとご覧のとおり。前方には「JUSTIZ(法務当局)」と書かれた車両が走っています。
右:高速115号から一般道へ降ります。観光だと幹線道路を主に通るためか、あまり踏切と出会いません。このときは踏切と出会ったうえにたまたま列車が通りました。
写真3-3-5 写真3-3-6
写真3-3-7
ポツダム市街に入る手前に、撮影所バーベルスベルク・スタジオがあり、航空写真を見るとその一角に観光用エリアとしてこのテーマパークがあります。本体のスタジオ・ツアーもあるようです。公式サイト(※、独語)
左:入場ゲート。ゲートでもらったパンフレットによれば約20のアトラクションと4つのショーがあります。4Dスタジオでシューティングゲームや、よくしつけされた動物たちのショーなどがあり一日楽しめます。オーディオガイド2ユーロは、ドイツ語、英語、ポーランド語、フランス語の4ヶ国語があります。
右:入場するとキングコングがお出迎え。このほかにもメトロポリスのマリアなどの像が建っています。奥には懐かしい「UFA(Universum Film AG)」のロゴが。
写真3-3-8
中世の町並みのセット。各棟には、お化け屋敷みたいな人形が置いてあったり、墓場もあってホラーな雰囲気たっぷり。正面の像は、案内板によれば映画「魔王 The Ogre」より。
写真3-3-9 昼食 写真3-3-10 砂金取りのアトラクション
左:園内のファースト・フードで昼食。シュニッツェル(ドイツ風カツレツ)とフライドポテト、ソフトドリンク。写真には写っていませんが、追加でポテトサラダも。ちょっと肌寒かったので、私はホットコーヒー。運転があるのでアルコールは飲みません。甥っ子が言うには「子供が飲める暖かい飲み物がない」と。確かにココアとか紅茶とか、あるところにはありますがここにはありませんでした。
右:西部劇のセットの中にあった砂金取りのアトラクション「Goldmine(金山)」。甥っ子がやりたいと熱望。砂の中にきらきら光る物があって、時間制限はなく飽きるまで濃し取ります。金メッキか何かのようでした。すくい取った物はスタッフに渡すと小瓶に入れてくれてお土産に。
写真3-3-11 中世ロマネスク様式のお城 写真3-3-12 インディアナ・ジョーンズ
写真3-3-13
左:中がレストランになっている中世ロマネスク様式のお城。これも何かのセットだったようで、仮想の新しいお城のハズなのに、ツタが絡まり非常に雰囲気がよかったので思わずシャッターを切りました。
右:私たちの世代には懐かしい「インディアナ・ジョーンズ」のマネキン。まさかこんなところで映画の主人公と記念撮影ができるとは。なぜこの地にハリウッド映画のキャラクターがいるのかなと疑問に思ったら、こちらのPDF(※、日本語)によれば、「バーベルスベルク撮影所は、最新の技術水準に対応しており、ハリウッドがバーベルスベルクでの制作を行うようになりました。近年の重要な作品には『M:i:Ⅲ(ミッション:インポッシブル3)』などがあります。」とあることから、「インディアナ・ジョーンズ」も関係あるのでしょう。
この棟では、美しさだけでなく、ケガをしたように見せかけるなどメイクアップの技術を紹介していました。このように舞台裏を見せてくれる展示が他にも多くありました。
写真3-3-14
写真3-3-15
14時半からあるスタントショー。ヒーローとヒロイン、それに悪人が四輪車・バイクを所狭しと乗り回して対決。観客席も使ったボディアクション、火を効果的に使った演出など見応え十分。パンフには2,500席と書いてあります。平日だというのに7割程度埋まりました。週末は満席でしょうね。1日1回なので、せっかくここを訪れるならこのスタントショーは必ず予定に入れておきたいですね。
ショーが終わったらヒーローのサイン会。ハガキサイズのポートレートにサインをしながら子供達に渡していました。つまりサイン付きポートレートです。甥っ子もしっかりゲット。
3時過ぎここを離れベルリンへ戻ります。35km、40分くらい。
ポツダムからベルリン中心部を通って宿へ
写真3-3-16 ノイエ・カント通り 写真3-3-17
左:宿はベルリン市街のほぼ中心部のクロイツベルク地区にあり、宿へ帰る最短コースは市の南側から北上するルートですが、道路が混雑しているのか、ナビは市の西側からのルートを表示。ナビの指示に従ってシャルロッテンブルクで高速100号線を降りてノイエ・カント通りへ。ベルリン市街へ入って来ました。中央分離帯に街路樹が植えられた美しい通りです。
右:地下鉄ヴィルメルスドルフ通り駅付近。カント通りをツォー駅方向へと進みます。
写真3-3-18 カイザー・ヴィルヘルム記念教会 写真3-3-19 オイローパ・センター
左:工事中のため仮設のパネルで覆われたカイザー・ヴィルヘルム記念教会の側を通ります。教会の裏手が旧西ベルリンの目抜き通りクーダム。
右:教会を過ぎるとブライトシャイド広場とオイローパ・センターです。オイローパ・センターは、初めてベルリンを訪れた30数年前、ちょうど今のポツダム広場にあるソニーセンターのような当時最先端の複合商業施設でした。そんなベルリンのど真ん中をまさか自分が運転する車で走るとは思いもよらなかったですね。
宿に戻った後は、個性的な人気スポット、ハッケシャー・ホーフへ。その2>ハッケシャー・ホーフ
3-4 Nachwort あとがき
●ベルリンへまた来るぞ!
8ヵ月ぶり4回目のベルリンはこれで終わり。中心部のみならず、ご覧のように近郊にも足を運ぶと何日あっても足りないくらい。ベルリン-ポツダム間は公共交通の便がよいので、今回のようにベルリンに連泊して日帰りしてもよいし、昨年夏のようにポツダムに泊まってもいいですね。
連泊すれば荷物の持ち運びが少なくて楽だし、一方ポツダムに泊まれば、新庭園の散策など観光客がいない時間帯を満喫できて、どちらを取るかはそのときどきの判断。
ベルリンは何度でも来たいと思わせる魅力的なエリア。日本からのアクセス改善につながるブランデンブルク国際空港の開港が待たれます。
●映画・ドラマで当時の様子を垣間見る
いろんな博物館・史料館を回りました。歴史は実体験できないので、映画やTVドラマで当時を知れば、少々脚色されているとはいえ、より深く博物館・史料館の展示を理解できるのではと思います。その点ベルリンは多くの映画・ドラマの舞台になっていますので、描かれた時代に沿っていくつかご紹介します。
●ヒトラーの贋札 Die Fälscher(2007) 右の画像はドイツ語版DVD
ザクセンハウゼン強制収容所が舞台となった史上最大の贋札事件と言われる「ベルンハルト作戦」。収容所の一端がわかります。たぶん、現実はこんなに生易しいものではないとは思いますが。
●ヒトラー ~最後の12日間~ Der Untergang(2004)
タイトルのとおりベルリン陥落までの日々を、ヒトラーの秘書の証言を基に描く。
ヒトラー役ブルーノ・ガンツの迫真の演技。周りを固めるそうそうたる俳優らにこの映画にかけるドイツ人の意気込みを感じます。
●エアリフト Die Luftbrücke - Nur der Himmel war frei(2005 TVムービー)
その1>ドイツ技術博物館で紹介したベルリン封鎖とそれに続くベルリン大空輸が下敷きのエンターティメントTVムービー。当時のモノクロ実録フィルムらしきものが挿入されていたり、廃墟となっているライヒスターク(現在のドイツ連邦議会議事堂)の前で演説があったり、更には、東西の一発触発の緊迫した駆け引き、また西側も一枚岩でなかったことがわかります。
●トンネル Der Tunnel(2001)
その2>ベルリンの壁の下に西側からトンネルを掘って、東に閉じこめられている親族・友人を助け出す実話に基づく。壁を越えようとして亡くなるシーンは涙が出てきてしまいます。
脱出は成功するとわかっていても、緊迫した展開は息をのみます(実際には東ドイツのシュタージ(秘密警察)が嗅ぎつけるまでには間があったようです)。
●気球の8人 Night Crossing(1982 イギリス)
東ドイツから気球で西ドイツヘ脱出した8人の実話に基づいた決死行を描く。その2>チェックポイント・チャーリー博物館に展示がありました。
まさしくこの脱出劇の映画が公開された頃、私は西ドイツでのほほんと語学留学を楽しんでいました。そのな時に東の一般住民が生きるか死ぬかの壮絶な行動を起こしたことに、やるせなさを感じます。
●善き人のためのソナタ Das Leben der Anderen (2006)
旧東ドイツの国家保安省(シュタージ)の内幕を描く。
シュタージが盗聴器を仕掛けるシーンで、主人公の書斎の引き出しを開けると西ドイツの週刊誌「シュピーゲル」が。細かいところの演出がにくい。何度見ても最後は涙が出てしまいます。
掲載するからにわと、上記青字の5本は棚からDVDを取り出して見直しました。こんなに凄まじい時代を生きた人々の苦悩を思うと、なんと自分は平和な日本にいるのだろうと、感謝の気持ちで一杯です。他には、
●ベルリン・クラッシュ Crazy Race 2 - Warum die Mauer wirklich fiel (2004 TVムービー)
壁が崩壊する直前の旧東西ドイツを舞台にしたアクションコメディ。
●グッパイ、レーニン! GOOD BYE LENIN! (2003)
壁崩壊前後のドタバタを描くコメディ
などもあります。「気球の8人(1982)」を除いて、いずれも2000年代の作品。戦後数十年が経ってやっと過去の忌まわしい時代と向き合えるようになったと言われています。
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2.Berlin 1.Bis Berlin 2.Berlin 3.Um Berlin 4.H-damm
~Köln
5.Um Köln 4.H-damm
~Köln
 


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