Eine Deutschlandreise 2018 ドイツ旅行 (2/4)
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Inhalt 目次
1 Berlin ベルリン
2 Der Harz ハルツ山地
3 Am Rhein ライン河畔
4 Ruhrgebiet ルール地方
2 Der Harz ハルツ山地
2-1 Spreewald シュプレーヴァルト
2-2 Bis Nordhausen ノルトハウゼンまで
2-3 Hotel Nordhausen ホテル・ノルトハウゼン
2-4 KZ-Gedenkstätte Mittelbau-Dora ミッテルバウ=ドーラ強制収容所跡
2-5 Nordhausen ノルトハウゼン
2-6 Harzer Schmalspurbahnen ハルツ狭軌鉄道
2-7 Talsperre Kelbra 谷のダム・ケルブラ
2-8 Nachwort あとがき
2-1 Spreewald シュプレーヴァルト
ドイツ4日目は、フランクフルト(オーダー)を出発し、シュプレーヴァルトを経由してノルトハウゼンまで約500km走ります。出発地フランクフルト(オーダー)の天気予報は晴れ、予想最高気温22度、最低気温7度。到着地ノルトハウゼンは晴れ、予想最高気温20度、最低気温5度。申し分ないドライブ日和です。
8時半、抜けるような青空のもとフランクフルト(オーダー)を出発。目的地のシュプレーヴァルトまで85km、1時間30分の予定。高速道路経由だと大回りして距離が伸びるせいか、ナビは最短距離の一般道を指示します。
写真2-1-1 ねずみ取り DR画像 写真2-1-2 アムト・シュラウペタール DR画像
左:走り出して10数分、一般道にねずみ取りがありました。過去には、「バシャ」とやられたときもありましたが、安全運転に心がけています(笑い)。
右:土曜日なので道路はスカスカ。快適なドライブをしていたら、工事で通行止め。迂回しようにもナビには工事情報が入っていないようで、「元の道に戻れ。」と言うばかり。Amt Schlaubetalアムト・シュラウベタールの町中を通ったところで、ナビを無視して道路標識を頼りに(右写真)高速道路を目指しました。高速12号線へ乗り、高速10号線を経由し、かなり遠回りをしたので2時間ほどかかって10時30分、シュプレーヴァルトの中心Lübbenauリュベナウに到着。
シュプレーヴァルトは、日本語の旅行ガイドブックにはほとんど情報がありません。詳しくはドイツ観光局(※、日本語)をご覧ください。
●ベルリンとドレスデンの中間にある湖水地方(ユネスコ生物圏保護区)
写真2-1-3 船着場 写真2-1-4 手漕ぎ船
ここGrosser Spreewaldhafen(大シュプレーヴァルト港)から手漕ぎの船に乗ってのんびりと船旅に出ます。半日から1日、更には数日かかるコースまでいろいろありますが、3時間コースを選びました。出発の時間は決まっていますが、席が埋まるまで乗客を待ち続けます。家族連れなどで席が埋まっていきます。船頭さんは、単身の私を空いた席に座らせるつもりらしく、なかなか乗せてくれません。これで最後の客と思えた家族連れの席が一つ空き、最後の最後で乗せてもらえました。若い夫婦に幼稚園生くらいの男の子が一人の家族が2組計6人との相席。
写真2-1-5 水路を行く船 写真2-1-6
左:満員になると船は出航。Hauptspreeハウプトシュプレーを船頭さんがガイドしながら手漕ぎでゆっくりと進みます。
右:水路の左右には、自然と共生する人々の暮らしがあります。水路に向かって郵便受けもあり、夏場は郵便配達も水路を使うらしい。
写真2-1-7 農家
写真をたくさん撮りました。どれも独特な風景が絵になり、選択に苦労します。
写真2-1-8 民家 写真2-1-9 水路
これ以上の行楽日和は無いだろうと思えるような快晴のもと、船はゆっくり進み、両岸には珍しい風景が次々に展開して飽きません。
写真2-1-10 休憩地点
1時間ほどでAn der Dolzkeアン・デア・ドルツケにあるRestaurant Suezレストラン・ゼッツに到着。ここで1時間の休憩。出航港からここまで遊歩道もあり、道路距離は1.4kmほど。歩いたら20分ほどでたどり着く計算。
写真2-1-11 アイス 写真2-1-12 ラードを塗ったパン
左:食事の時間ですが、午後も運転するのでビールは我慢して、日本ではまず食べないような甘いものを頂きました。
Früchteeisbecher Je eine kugel Vanille, Erdbeere und Schoko mit Früchten und Sahne 果物とアイスの盛り合わせ バニラ、イチゴ、チョコのアイス各1個、果物と生クリーム添え4.9ユーロ。
右:食べる順番が逆になりましたが、ここの名物らしいSchmalzbrot mit Gurke 2.5ユーロ。バターの代わりにラードを塗ったパンの上に、塩漬けのキュウリが載っています。
写真2-1-13 周囲の風景
1時間の休憩後、出航。船は往路とほぼ同じコースで出航港へ戻ります。相席の家族連れは、ライプツィヒから来たとのこと。子ども達に鶴を折ってあげました。
のんびりとした船旅を楽しみながらの森林浴でとてもリフレッシュできました。時刻は14時半、西へ約350km、30分の途中休憩を含め所要時間4時間の予定で、ノルトハウゼンを目指します。外気温は28度と出ていて、半袖でもかまわないくらいの初夏の陽気です
2-2 Bis Nordhausen ノルトハウゼンまで
写真2-2-1 軍用車を乗せたカートレイン 写真2-2-2 DR画像
左:走り出して約5分、踏切で遮断機が降りていて停車。左から右へ貨物列車が通り過ぎた後も踏切が開きません。それから2分後珍しい「貨物列車」が右から左へ。写真のように軍用車を乗せたカートレインが通り過ぎました。
右:市街地を抜け、高速13号線をドレスデンまで100kmほどの道のりを南下していると、旧東ドイツのトラバントが走っている!ネットによれば最後の生産が1990年。最高速度は時速100km前後で、1970年代の日本の軽自動車にやや劣る程度の性能。このときは時速108kmで追い越しているので、トラバントは時速80~90km出ていたようです。最近は人気が出て、状態のよい中古車をレストアして楽しむマニアもいるらしい。
写真2-2-3 DR画像
左:ノルトハウゼンへの道のりは、交通量少なめの高速道路を平均時速150km前後で快調に飛ばせる楽しいドライブですが、ドレスデン付近は、工事による制限が断続的に続き閉口。こちらの工事区間は10km,20km単位で延々と続くのが特徴。
ドレスデンで西向きに変え、高速4号線でライプツィヒへ100km。走り出して1時間半後の16時過ぎ14号線MühlenbergメーレンベルクPAで休憩。更に10分ほど走ってMuldentalムルデンタールSAで給油。
写真2-2-4 DR画像 写真2-2-5 ヘルメタールPA
左:16時半過ぎ、高速38号線に乗り換える標識に「Göttingenゲッティンゲン」の表示が現れ、その昔語学研修で半年滞在した懐かしい地名に思わず声を上げてしまいました。
右:17時半頃、HelmetalヘルメタールPAで休憩。そして18時前ノルトハウゼンの宿に到着し、約500kmを走りきりました。
●ドイツ料理店 ゴールデンボールへ~「突き出し」が出るレストラン
写真2-2-6 写真2-2-7
宿にチェックインしたらすぐに夕食を食べに出掛けます。日本の旅行ガイドブックには記載が無い都市なので、事前にめぼしいレストランをチェックしておきました。
左:その中で、宿から最も近いドイツ料理店Zur Goldenen Kugel(ゴールデンボールへ)へ。時刻は土曜日の18時半頃。こんな所にレストランがあるのかなと心配しつつ、ひっそりとした住宅街を8分ほど歩きます。
右:レストランのそばにある、緑の木立が続く川と橋の情景に心引かれます。
写真2-2-8 写真2-2-9
写真2-2-10
左:ひっそりとありました。恐る恐る入ってみたら賑わっています。場所柄地元民がお得意様らしい。
右上:着席したら白ビールSchöfferhofer 0.5リットル3.9ユーロを注文。ところで同じものを2杯飲みましたが、コースターにはUr-Krostitzerウーァ・クロスティッツァーとあります。旅行記をまとめながら調べてみると、ライプツィヒの地ビールで、繊細でドライなピルスナーらしい。1杯はこれを飲んでみるべきでした。思い残しは来年の楽しみに残しておきます(笑い)。
写真2-2-11 突き出し 写真2-2-12 夕食
左:程なく無料の「突き出し」が出ました。ドイツでは初めての経験だったのでビックリしましたが、翌日のレストランでも出たので、この地域独特の風習らしい。ブルーベリーか何かだったかと思いますが、グルメじゃないので「猫に小判」です。
右:注文したÜberbackenes Schnitzel。右半分は焼ジャガイモ。左半分が、シュニッツェル(カツレツ)の上にチーズ類をトッピングして、オーブンで焼いたものらしい。13.8ユーロ。チップ込み23ユーロの夕食。
時刻は20時過ぎ。レストランを出ると、まだまだ明るいけど、ひっそりとした市街地を再び歩きます。
写真2-2-13 写真2-2-14
左:歩いた範囲で、この都市でこのような歴史的外観の建物は珍しい。本来は木造建物ですが、この建物は非木造の外壁を木組み風に見せているようです(内部に立ち入って、構造を確認しないと正確には分かりませんが)。右隣の肌色の建物の外壁は、ユーゲントスティール様式(2017ドイツ一人旅その3>3-8 あとがき参照)を彷彿とさせるようなデザイン。
右:レンガ造の塀。日本では一般的にコンクリートブロックで塀を作るので、立派なレンガ塀をマジマジと観察。均質で単調なコンクリートブロック塀と異なり、レンガの色合いが町に彩りを添えています。「Hautec Gebäudetechnik」と書かれた看板が貼ってあって、建築設備会社の敷地らしい。
2-3 Hotel Nordhausen ホテル・ノルトハウゼン
●ビジネスホテルのミニマムな部屋に2泊
写真2-3-1 外観 写真2-3-2 2階平面図
左:20時20分頃、ホテルへ戻りました。この地を訪れた目的は、ハルツ狭軌鉄道の始発駅だから。泊まれればよいため、駅に近いエコノミーなビジネスホテルを選びました。
右:2階平面図の右端の赤枠が泊まった部屋。
写真2-3-3 客室 写真2-3-4 客室
3帖ほどの客室。ここ8年ほど毎年ドイツを旅行していますが、ここが一番小さな部屋でしょう。1泊素泊まり49ユーロ、朝食8ユーロ、駐車場2.9ユーロ、計59.9ユーロ(8,100円)。これで広かったら満足だけど、この狭さだとちょっと強気な値段設定だと感じます。
写真2-3-5 サニタリー 写真2-3-6 サニタリー
サニタリーは標準的な作りですが、ドイツはどこに泊まっても、サニタリーの維持管理がしっかりしている印象です。
写真2-3-7 1泊目の朝食 写真2-3-8 2泊目の朝食
2泊したので、2泊分の朝食をまとめて掲載します。品数はやや少なめだけど、こちらでは標準的なビュッフェ形式。
2-4 KZ-Gedenkstätte Mittelbau-Dora ミッテルバウ=ドーラ強制収容所跡
●今回は予定外のため下調べ
ドイツ5日目は、ハルツ狭軌鉄道に乗ります。発車時刻の10時24分まで、ミッテルバウ=ドーラ強制収容所の下調べと、市中心部を散策。ノルトハウゼンの天気予報は曇りのち晴れ、予想最高気温24度、最低気温9度で、朝晩は低めですが長崎の5月の陽気の予想。
写真2-4-1 ファシズムの犠牲者通り DR画像 写真2-4-2 貨車
その強制収容所跡へ、朝食前にひとっ走りして、次回以降訪れるための下調べ。
左上:途中「Str. der Opfer des Faschismus ファシズムの犠牲者通り」を通ります。由来を知りたくなるような、インパクトのある名称に仰天しました。
写真2-4-3 バス停 DR画像
右上:車を走らせること北へ約6km、8分。小高い丘の上にあるミッテルバウ=ドーラ強制収容所跡へ7時前に到着。敷地の入口に貨車が一両。ここまで線路が引かれていたことを表す再建遺構らしい。
左横:敷地奥へ進むとバス停。時刻表を見ると、ノルトハウゼン駅前から平日のみ12時台~17時台に1時間に1本あります。
写真2-4-4 地下工場跡地入口 写真2-4-5
左:地下工場跡地の入口Stolleneingänge。見学可能な1時間半の無料ガイドツアーは、土日祝祭日11、13、15、16時の4回。月曜除く平日11、14時の2回。資料館の前に集合。
右:門のような遺構があります。左手奥に下で紹介するLern- und Dokumentationszentrum学習および資料館の白い建物が見えています。
写真2-4-6 Eingangstafel zur Gedenkstätte 入口のサインボード
写真2-4-7 収容所跡地
敷地の奥が収容所跡地Lagerbaraken。正面右手に写真2-4-6入口のサインボードが見えています。貨車からここまで1.2kmほど。ここにはかつてナチスの地下工場があり、隣接する強制収容所の囚人らがV2ミサイルなどの製造にあたっていたそうです。
写真2-4-8 学習および資料館 写真2-4-9 地下壕入口
左:カメラを左へ振ると、10時から18時まで開館する学習および資料館。オーディガイド5ユーロ(独、英、仏、蘭語)があるそうです。
右:収容所入口の親衛隊SSの地下壕入口が残っています。
ざっくりと敷地を一回りしました。宿へ戻り、朝食を取って徒歩で出掛けます。
2-5 Nordhausen ノルトハウゼン
写真2-5-1 写真2-5-2 旧市庁舎
写真2-5-3 ローラント像
時刻は9時。1時間ほど市街地を散策します。一番の目的は夕食の場所探し。ただし今日は日曜日なので、選択肢は限られます。
左:歩き出して暫くすると中古自動車店に「BAR-Ankauf」の看板。つまり「現金-買取り」。ナルホド、どこの国も同じだ。
右上:旧市庁舎まで来ました。
右:旧市庁舎角に中世の騎士ローラント像(レプリカ)。ブレーメンのローラント像が有名ですが、Wiki.deのNordhäuser Roland(※、独語)によれば、自由都市の象徴だったとのこと。この付近に日曜日も開いているステーキハウスNordhäuser Ratskellerがあるはずですが、見つけきれなかった(熱心に探さなかった)。
写真2-5-4 市立図書館 写真2-5-5
左:旧市庁舎のそばに市立図書館Stadtbibliothek „Rudolf Hagelstange“があり、地元の作家ルドルフ・ハーゲルシュタンゲ(1912-1984)にちなんで名付けられたとのこと。
右:ノルトハウゼンは、人口42,000人の小都市ですが、トラムがあり、次に紹介するハルツ狭軌鉄道にも乗り入れています。
2-6 Harzer Schmalspurbahnen ハルツ狭軌鉄道
●ローカル鉄道の未踏査区間を蒸気機関車が引く列車で制覇する
図2-6-1 路線図 Streckennetz HSB (C)HSB
ハルツ狭軌鉄道は5年連続5回目。この鉄道の主要観光路線は中央上のWernigerodeヴェルニゲローデ~Brockenブロッケン山頂間ですが、過去に制覇したので、今回は左下のNordhausen Nordノルトハウゼン北からEisfelder Talmühleアイスフェルダー・タールミューレ(以下、「アイスフェルダーT.」で乗り換えて、右上のGernrodeゲルンローデまで、全行程蒸気機関車が牽く列車(蒸気牽引列車)で。出発は10時24分、帰着は17時39分で、片道66km、往復132km、7時間の旅。当駅からアイスフェルダーT.までと、Stiegeシュティーゲ~Hasselfeldeハッセルフェルデ間の盲腸線が初めて乗る区間。今日の行程を終えると、未踏査は、右側Alexisbadアレクシスバート~Harzgerodeハルツゲローデまでの3kmを残すだけ。ちなみにQuedlinburgクヴェトリンブルクからハッセルフェルデ間の建設後、シュティーゲ~アイスフェルダーT.が建設されたので、正しくは盲腸線ではありませんが、現況の運行形態から「盲腸線」と表現させてください。あくまで自分の覚書きです。観光案内には役立ちませんので、次の2-7 谷のダム・ケルブラへどうぞ。
図2-6-2 路線断面図
本日往復する路線の縦断図を作成しました。左から右へ途中2箇所の峠があります。高低差336m。昨年の高低差約1,000m、往復202km、所要時間11時間からするとささやか。
●[ハルツ横断線]ノルトハウゼン北10:24~アイスフェルダーT.11:01
写真2-6-3 ドイツ鉄道ノルトハウゼン駅 写真2-6-4 駅前電停とノルトハウゼン北駅
左:旧市庁舎から南へ真っ直ぐ1kmほど歩くと、ドイツ鉄道ノルトハウゼン駅。駅舎は小ぶりですが、航空写真を見ると、貨物ヤード、転車台、新旧二つの扇形庫があり、かなり本格的な施設です。
右:カメラを右へ振ると、駅前電停とハルツ狭軌鉄道のノルトハウゼン北駅。ドイツ鉄道は標準軌、ハルツ狭軌鉄道は狭軌なので、両者の線路はつながっていません。
写真2-6-5 ノルトハウゼン北駅(前日撮影) 写真2-6-6 駅前電停(前日撮影)
左:ハルツ狭軌鉄道の駅舎。駅舎の奥に頭端式のプラットホームがありますが、駅舎の右手を抜けて、駅前広場へつながる分岐線もあります。
右:駅前広場には、トラムの電停Bahnhofsplatz駅広場。ディーゼル発電機を積んだ超低床路面電車コンビーノ・デュオが、分岐線からハルツ狭軌鉄道へ乗り入れています。
写真2-6-7 ノルトハウゼン北駅 写真2-6-8 ノルトハウゼン北駅
写真2-6-9 硬券切符と時刻表
左上:ノルトハウゼン北駅へ。可愛い鉄道模型がある窓口で、ゲルンローデまで往復39ユーロの切符を買います。ちなみにこの駅からアイスフェルダーT.まで乗り継ぎも含め1日8往復が設定されていますが、蒸気牽引列車は、今から乗る一往復のみ
右:奥の部屋にあった電子情報ボードは、機関車の形をしていて凝っています。
左:切符は昔ながらの硬券(緑色、なお駅によって色は異なります)で、裏には車両のイラストが描かれ、これならよい乗車記念です。切符は旧式でも購入はクレジットカード払いも可。切符の下は、無料でもらえる時刻表の小冊子。
写真2-6-10 ノルトハウゼン北駅 写真2-6-11 ノルトハウゼン北駅
左:広く立派なプラットホームへ進むと、7両の客車と緩急車のみが停車しています。
右:単機の蒸気機関車(以下、「機関車」という)が入線。航空写真を見ると、給水塔の背後に機関庫や回転台があり、そこからの回送のようです。
写真2-6-12 ノルトハウゼン北駅 写真2-6-13 ドイツ鉄道扇形庫
左:機関車が客車の前に連結されると出発。この蒸気牽引列車はブロッケン山頂まで1往復します。私は途中のアイスフェルダーTで乗換え、ゲルンローデまで往復。
右:出発してすぐ、ドイツ鉄道の扇形庫が見えました。こちらは古い方らしい。
写真2-6-14 写真2-6-15 アルテントアー駅
左:客車のデッキに立つと、後進する機関車を間近に見られて迫力満点。
右:一つ目の駅Nordhausen Hesseröder Straßeノルトハウゼン・ヘッセレーダー通り駅(以下、Nordhausenは[N.] ノルトハウゼンは省略)は乗降客がある場合のみ停車(リクエスト・ストップ、以下[RS])で通過し、最初の停車駅N. Altentorアルテントアーへ。
写真2-6-16 シュルツフェル駅 写真2-6-17 クリムデローデ駅
左:RSの1駅を通過し、バス停のような駅舎のRS駅N. Schurzfellシュルツフェルに停車。Schurzfellは革製前掛けのことで、この地域にあった中世の鍛冶屋に由来するらしい。
右:三つ目の停車駅はN. Krimderodeクリムデローデ。ここもバス停仕様の駅舎。
写真2-6-18 ニーダーザックスヴェアフェン東駅     写真2-6-19
左:RSの1駅を通過し、四つ目の停車駅はNiedersachswerfen Ostニーダーザックスヴェアフェン東。
右:列車はなだらかな平原を、少しづつ高度を上げながら登って行きます。
写真2-6-20 イルフェルト駅 写真2-6-21 イルフェルト駅
左:RSの2駅を通過し、五つ目の停車駅はIlfeldイルフェルト。
右:コンビーノ・デュオが止まっていました。非電化区間なのでパンタグラフを降ろしています。路面電車は次のIlfeld Neanderklinikイルフェルト・ネアンデルクリニックまで入線しています。
写真2-6-22 イルフェルト駅 写真2-6-23 ネッツカーター駅
左:老朽化した小さな機関庫もありました。この駅を過ぎると、いよいよ山中へ。
右:RSの2駅を通過し、六つ目の停車駅Netzkaterネッツカーター。
写真2-6-24 アイスフェルダーT.駅 写真2-6-25 アイスフェルダーT.駅
左:乗換駅のアイスフェルダーT.の2番ホームに到着。乗ってきた列車はこの後ブロッケン山頂へ向かいます。1番ホームにはノルトハウゼン北行の気動車が停車中。この車両187-016は1999年製。巾2.39mで、JRの在来線車両巾3mからすると細身で、バスの車幅2.5mに近いイメージ。
右:3番ホームには、クヴェトリンブルク行き蒸気牽引列車が待っているはずでしたが、待っていたのは単行の気動車。今日私は右の列車から左の気動車へ乗り換えますが、ちょうど一年前の同じ日、左の列車でクヴェトリンブルクから乗ってきて、右のブロッケン山頂行きに乗り換えました。今日は逆の行程を組みました。なぜ蒸気がいないのか、乗り換え時間が4分しかなく状況が把握できないまま、数人の乗り換え客と共にワンマン運転の気動車に乗り込みます。少し落ち込みましたが、この区間は昨年蒸気牽引列車で乗ったので、気持を切り替えました。運転席と一体となれる車両は、日本では珍しく、それを楽しむことにします。
●[ゼルケタール線]アイスフェルダーT11:05~ゲルンローデ13:07
写真2-6-26 アイスフェルダーT.駅 写真2-6-27
右:後部の速度計を見ると、時速30km程度。気動車のダイヤも同じ所要時間なので、蒸気のダイヤだから抑えている訳ではなさそう。1954年製のこの車両187-013は、1985年にこの鉄道に移籍、206Kw(280hp) 最高時速50Kmとあり、性能的には充分なハズ。
写真2-6-28 シュティーゲ駅 写真2-6-29 シュティーゲ駅
左:RSの1駅を通過し、最初の停車駅シュティーゲに到着。進行方向が変わります。
右:ループ線を使えばそのまま進めますが、今回はループの手前で運転手が前後移動。写真右上に[1]とあります。一方写真2-6-26は[2]とあり、向きが変わった証拠。
写真2-6-30 フリードリッヒスヘーエ駅 写真2-6-31 フリードリッヒスヘーエ駅
左:以下、主なところだけ。RSの1駅を通過し、その次のRS駅Friedrichshöheフリードリッヒスヘーエは、交換設備もありますが、ダイヤ上ここですれ違う列車はありません。
右:通過しながら駅舎も撮影。
写真2-6-32 シュトラースベルク駅 写真2-6-33 アレクシスバート駅
左:2番目の停車駅Güntersbergeギュンタースベルゲ、そして3番目の停車駅Straßberg(Harz)シュトラースベルクへ(写真の駅舎)
右:RS1駅を通過、4番目の停車駅Silberhütteジルバーヒュッテを過ぎ、5番目の停車駅アレクシスバートが見えてきました。右の線路はハルツゲローデまでの未乗車3kmの区間
写真2-6-34 アレクシスバート駅 写真2-6-35 アレクシスバート駅
左:アレクシスバート駅で7分停車。蒸気機関車ならここで給水です。
右:そこへハルツゲローデ発ノルトハウゼン北駅行きが入線。
写真2-6-36 ドラートツーク駅 写真2-6-37
左:次のRS駅Drahtzugドラートツークは停車。
右:7番目の停車駅Mägdesprungメクデシュプルング、三つのRS駅を過ぎると平地です。
写真2-6-38 ゲルンローデ駅
目的地のゲルンローデで下車帰りの列車まで50分、構内を散策します。左端レンガ色の建物は旧ドイツ鉄道の駅舎、その右白い建物はハルツ狭軌鉄道の駅舎。中央に止まっている乗ってきた気動車は、この後クヴェトリンブルクまで往復します。
写真2-6-39 ハルツ鉄道資料館 写真2-6-40 ハルツ鉄道資料館
左:構内に、小さなハルツ鉄道資料館がありますが、今日は休館日。
右:案内板によれば、右は1906年ギュンタースベルゲに作られたAufenthaltsraum der Bahnmeisterei保線区詰所。保護のためここへ移設。左はWellblechbudeトタン小屋。
写真2-6-41 昼食 写真2-6-42 ゲルンローデ駅
左:今日は日曜日、昼食をどうするか。ネットで事前に駅周辺のレストランを調べたけど無し。朝しっかり食べたので、成り行きでいいやと持ってこず、この駅で腹こしらえになりそうなスナックを買いました。その際、機関車の運行を尋ねたら、故障で急遽気動車に変わったが、この後に乗る列車は、ダイヤ通り蒸気牽引列車とのこと。
右:その列車が到着。緩急車+客車3両。去年は客車3両+緩急車+無蓋車でした。
●[ゼルケタール線]ゲルンローデ13:57~ハッセルフェルデ16:00
写真2-6-43 ゲルンローデ駅 写真2-6-44
左:13時54分、クヴェトリンブルクへ向かった気動車が帰ってきました。
右:乗継ぎ客を乗せると出発。暫く森林地帯をゆっくりと登って行きます。
写真2-6-45 メクデシュプルング駅 写真2-6-46 ドラートツーク駅
左:メクデシュプルングでクヴェトリンブルク行気動車と交換。
右:RS駅のドラートツーク駅で乗客がありました。
写真2-6-47 ジルバーヒュッテ駅 写真2-6-48 シュトラースベルク駅
左:ジルバーヒュッテを出発すると、ゼルケ川を渡る路線図には無い線路が離れていきます。航空写真を見ると工場跡地のような平地まで500mほど続いています。
右:シュトラースベルクでハルツゲローデ行気動車と交換。
写真2-6-49 ベルク湖 写真2-6-50 シュティーゲ駅
左:ギュンタースベルゲを過ぎると、1752年に完成した人工のダムBergseeベルク湖があります。レストランや貸しボートがあり、夏場は泳ぐことも可能なリゾート地らしい。
右:シュティーゲのループ線を右に見ながら初踏査のハッセルフェルデへ。この盲腸線には1日4往復が設定されていますが、蒸気牽引列車は今乗っている1往復のみ。
写真2-6-51 写真2-6-52 ハッセルフェルデ
左:のどかな丘陵地帯に引かれた4.9kmの線路は、右に左にカーブを描きます。
右:ハッセルフェルデの町並みが見えてきました。人口2,400人ほどの町。
写真2-6-53 ハッセルフェルデ駅 写真2-6-54 駅の案内板
左:シュティーゲから13分かけて終着駅のハッセルフェルデに到着。
右:案内板によれば、この盲腸線は1892年5月に開通し125周年。ちなみにシュティーゲにあるループ線は1984年に建設されたため、この図には書かれていないようです。
●[ゼルケタール線]ハッセルフェルデ16:10~アイスフェルダーT16:44
写真2-6-55 ハッセルフェルデ駅 写真2-6-56 ハッセルフェルデ駅
左:乗ってきた列車は、そのまま次のアイスフェルダーT.行きとして運行されます。列車から機関車が切り離され給水。
右:その後、機関車は機回し線で後進に変わります。列車は盲腸線をシュティーゲまで戻り、その後アイスフェルダーT.へ向かいます。
ちなみにハッセルフェルデの始発は10時12分。通勤通学用の生活路線ではなく、完全に観光路線であり文化遺産。よく残しているものだと驚きます。
写真2-6-57 車内 写真2-6-58 アイスフェルダーT.駅
左:客車3両でもご覧の通りガラガラ。乗客は、鉄道好きな観光客が数人というレベル
右:終点のアイスフェルダーT.に到着。右が乗ってきた列車。機関車は既に向きを変えて、クヴェトリンブルクへ戻る準備ができています。
写真左端、ブロッケン山まで往復した蒸気牽引列車が戻って来ました。この列車に乗り換えて、ノルトハウゼンへ戻ります。昨年は逆に、ブロッケン山から左の列車で戻り、右の列車でクヴェトリンブルクへ帰りました。
●[ハルツ横断線]アイスフェルダーT.17:02~ノルトハウゼン北17:39
写真2-6-59 アイスフェルダーT.駅 写真2-6-60 アイスフェルダーT.駅
左:ビールは夕飯まで辛抱するつもりでしたが、乗換え時間が17分あり、あまりの気候のよさに駅のレストランでたまらず買って、列車を眺められるテラス席で至福の一杯
右:ノルトハウゼン北駅から当駅止まりの気動車が到着後、乗車した列車が出発します。
写真2-6-61 ネッツカーター駅 写真2-6-62
左:ネッツカーター駅にはご覧のような展示物があります。車上から見ただけで、詳細は分かりません。ざっくり調べたところ、かつて採石場があり、ミッテルバウ=ドーラ強制収容所の囚人が作業にあたっていたらしい。
右:7両編成の客車に、乗客は気動車1両でも足りるくらい。
写真2-6-63 ノルトハウゼン北駅 写真2-6-64 ノルトハウゼン北駅
左:終着駅のノルトハウゼン北駅に到着。途中蒸気牽引列車が気動車に変わるアクシデントもありましたが、7時間の旅はあっという間
右:機関車だけが切り離され、客車はそのまま留置。躍動感溢れる機関車の動きと石炭のニオイが名残惜しく、機関区へ戻る機関車をいつまでも見送りました。反対ホームのコンビーノ・デュオには、イルフェルトの方向幕が出ていますが、客扱いは無く回送らしい。
●誕生日の夕食はイタリアンで
写真2-6-65 生ビールと突き出し 写真2-6-66 夕食
駅からそのまま夕食へ。旧市庁舎そばのステーキハウスを目指したものの、その手前500mに雰囲気のよいイタリアン「Due Angeli(二人の天使)」がありました。早朝から動き回った疲れで、ここで妥協しテラス席に座りました。
左:メジャーな生ビールBitburger Pils 0.25リットル1.9ユーロを注文。この店でも無料の「突き出し」が出ました。
右:メインディッシュは、Tagliatelle con Salsiccia e Tartufo。イタリア語は読めません(笑い)。メニューにはドイツ語も添えてあって、Bandnudeln mit Italienicher Wurst, Schalotten, Knoblauch in leichter Trüffelsauce イタリア風ソーセージ、シャロット(ネギ属の野菜)、ニンニクの軽やかなトリュフソースで和えたヌードル 9.5ユーロ。
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写真2-6-67 イタリア・ワイン 写真2-6-68 デザート
左:イタリアの辛口の白ワインPinot Grigio 0.2リットル3.9ユーロ
右:デザートは北イタリア発祥といわれるティラミス4.5ユーロ。デカさに驚きましたが、甘い物大好きなので、ペロっと食べちゃいました。イタリア出身のウェーターがとても気さくで、私が日本から来たと分かると、知ってる限りの日本語の単語を並べて楽しませてくれ、ここにしてよかった。チップ込み22ユーロの一人誕生パーティでした。
2-7 Talsperre Kelbra 谷のダム・ケルブラ
写真2-7-1 地平線から昇る朝日 写真2-7-2 キャンプ場
左:翌朝、早朝散歩の代わりに、近辺で面白そうな所へドライブすることに。南東へ約25km、キャンプ場がある人工湖Talsperre Kelbra谷のダム・ケルブラへ向かいます。道すがら、6時ちょうどに太陽が地平線から顔を出します。
右:6時20分頃キャンピング場に到着。
写真2-7-3
朝の澄み切った空気、鏡のような水面、見渡す限りの広さに心洗われます。1966年に完成したダム湖で、貯水量3,560万㎥、水面600ha。長崎市水道局ダム16カ所の合計貯水量1,720万㎥の約2倍、面積はハウステンボス150haの4倍もあります。
写真2-7-4 キフホイザー記念碑 写真2-7-5 バッハ
左:帰り道、山の上に昨年訪れたキフホイザー記念碑(2017ドイツ旅行その1>1-6キフホイザー記念碑参照)が見えました。
右:バッハ(Bach,小川)にふさわしい流れです。
写真2-7-6 通行止めの橋 写真2-7-7
左:ナビを頼りに走っていたら通行止め。右側の標識には、「Fußgänger und Radfahrer frei(歩行者と自転車通行可)」とあります。車を駐めて歩いてみると、鉄筋がむき出しになっているところがあって、維持管理がされないまま老朽化した橋らしい。これからインフラの老朽化が進む日本の未来を暗示しているみたい。
右:更に橋の横には、川へ降りられる未舗装の道があって、私はレンタカーなので、万一を考え渡りませんでしたが、締め固められた轍からすると、オフロード車などは平気で渡っているらしい。
7時15分頃宿へ帰着。朝食を済ませてチェックアウトの際、「領収証は、企業名ですか、個人名ですか。」と尋ねられました。車で来た極東のハゲオヤジが、観光と縁が無い都市のビジネスホテルに泊まったら、仕事と思われるでしょうね。
2-8 Nachwort あとがき
●日本にあれば重要文化財級? 
写真2-8-1 旧ドイツ鉄道ゲルンローデ駅舎
ゲルンローデの旧ドイツ鉄道駅舎。ドイツ鉄道は2004年に廃止されましたが、駅舎はそのまま残されています。鉄道が時代の花形だった頃を偲ぶ、ルネッサンス様式の重厚な赤煉瓦の建物に目が止まりました。
2-6ハツル狭軌鉄道の中で書こうかと思いましたが、鉄道記事の中に建物を書くのはカテゴリーが異なるので、あとがきへ持ってきました。Wiki.de(※、独語)によれば1885年築、フランスの郊外にある城館のイメージで、駅長の宿舎が併設。窓口、待合室など駅の機能はそのまま残されており、有形文化財とのことで、日本にあれば重要文化財級と思える、こんな風格ある建物が、ひっそりと歴史に埋もれないよう、地元でも努力していることでしょう。
写真2-8-2 鉄道資料館
昨年、構内に小さなハルツ鉄道資料館があることを知り、Anhaltische Harzbahn(※、独語)によれば、4月~10月の土曜日営業とのことで、両者を見るため時間を調整して訪れたいな。
この鉄道の駅舎は、いずれも個性的で魅力たっぷり。蒸気牽引列車に乗りながら、駅舎建築を尋ねる旅もいいなと思いました。
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