Eine Deutschlandreise 2018 ドイツ旅行 (1/4)
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Inhalt 目次
1 Berlin ベルリン
2 Der Harz ハルツ山地
3 Am Rhein ライン河畔
4 Ruhrgebiet ルール地方
Überblick 概要
●中部ドイツをレンタカーで東から西へ横断する13日間の一人旅
●2018年春、ゴールデンウィークをはさみ単独で旅行しました。ミュンヘン到着後、すぐにベルリンへ飛び、東から西へドイツを横断。ハルツ山地、アイフェル山地などの国立公園を回り、デュッセルドルフから帰国へ。
●旅程の大半は、一般的な観光ルートから離れ全く個人的な内容なので、観光案内としては役立ちません。
●掲載写真は特記なき限り自撮り。右は17世紀のモノトーンの木組みの家なみが残るフロイデンベルクで。
写真1-0-1
お断り
情報はドイツ語のウェブサイトなどからも仕入れています。固有名詞等、日本語の定訳と異なることがあるかもしれません。そのためできるだけドイツ語も併記しました。
趣味のドイツ語レベルなので、正確さは担保できません。その程度の語学力だとご勘弁を。
円表示は交換時のレート 約1ユーロ=135円で計算。
※印のリンクページは、別ウィンドウが開きこのサイトを離れます。
Reiseweg 行程
4/25・26 長崎~羽田ミュンヘン国際空港①ベルリン2泊
4/27 ザクセンハウゼン強制収容所他②フランクフルト(O)1泊 
4/28・29 シュプレーヴァルトー③ノルトハウゼン2泊 
ハルツ狭軌鉄道でハルツ国立公園横断
4/30
5/1
ミッテルバウ=ドーラ強制収容所跡④デュッセルドルフ2泊
フロイデンベルク、アイフェル山地など周遊
5/2 ダルムシュタット⑤リューデスハイム1泊
5/3-5 ドラッヘンフェルス⑥ケルン3泊 ドラマのロケ地探訪など
5/6・7 オーバーハウゼンドルトムント④デュッセルドルフ空港~成田~福岡~長崎
青は経由地赤は宿泊地緑は観光地など ドイツ地図
全て自前で組み立てた手配旅行
日本~ドイツ間の航空会社は乗り慣れてかつマイレージがたまる全日本空輸(ANA)。
ベルリンからケルンまで約2,200kmをレンタカーで走行。そのため、この旅行記に出てくる「車」は、全て今回借りたレンタカーを指します。
宿は事前に日本からネットでホテルやアパートホテルを予約。日本で流行りの「民泊」に相当し、家具・電化製品付きのウィークリー・マンション感覚で、1泊単位で宿泊可。
サービスエリア:SA、パーキングエリア:PA、ガソリンスタンド:GS、ドライブレコーダー:DRと略します。キャプチャーして掲載したDRの記録画像に表示される日時は日本時間。現地時間はマイナス7時間。
1.Berlin ベルリン
4月25日(水)朝、長崎空港を羽田へ向けANA便で出発。約2時間の乗り継ぎを経て、12時半ANA便でミュンヘンへ出発。ドイツ・ミュンヘンに同日午後5時過ぎ到着。更に2時間半後にルフトハンザ便でベルリンへ。ベルリンの宿到着は22時過ぎの予定。
到着地ベルリンの天候予報は曇り。予想最高気温15度、最低気温7度。出発時長崎の天気予報は晴れ、最高気温20度、最低気温15度。ベルリンは長崎の3月中旬の気候です。
1-1 Bis Berlin ベルリンまで
1-2 Metropolitan Hotel Berlin メトロポリタン・ホテル・ベルリン
1-3 【世界遺産】Hufeisensiedlung フーファイゼン(馬蹄)団地
1-4 Jüdisches Museum Berlin ユダヤ博物館
1-5 Potsdamer Platz - Ku'damm ポツダム広場~クーダム
1-6 Französische Straße フランツェージッシェ通り
1-7 AEG-Turbinenfabrik AEGタービン工場
1-8 Gedenkstätte und Museum Sachsenhausen ザクセンハウゼン追悼博物館
1-9 Filmmuseum Potsdam ポツダム映画博物館
1-10 Frankfurt(Oder) フランクフルト(オーダー)
1-11 Pension Oderblick ペンション・オーダービュー
1-12 Stubice スウビツェ(ポーランド)
1-13 Nachwort あとがき
1-1 Bis Berlin ベルリンまで
●旅立ちは長崎空港から
写真1-1-1 搭乗便 写真1-1-2 STARWARS C-3PO ANA JET
左:早朝自宅を出て、松山町のバス停まで徒歩10分。薄曇り、少し肌寒い。リムジンバスで長崎空港へ。手荷物はミュンヘン国際空港まで預かってもらいます。
右:羽田空港が近づくと、航空路混雑のため15分遅れとのアナウンスがあり、なかなか着陸せず雲の中を旋回。ボーディングブリッジを降りたのは結局11時前でしたが、雨が強く荒れ模様でも飛んだだけOK。機内からスターウォーズC-3POの黄色い機体が見えて、シャッターを切ったものの、窓の水滴にピントが合ってしまい残念。
●乗り継ぎの羽田空港国内線~国際線ターミナル~機内
写真1-1-3 国際線ターミナル江戸舞台 写真1-1-4 味噌ラーメン
左:羽田空港国内線ターミナルに到着すると、ANAの国際線連絡バスに乗ります。国際線ターミナルに到着すると、これまでは3階の出国手続きへ直行でしたが、今年は出発ロビーへ出ることができたので、4階の江戸小路を散策して、出国。
右:109番搭乗ゲート付近にある北海道キッチンで、味噌ラーメンで日本を食べ納め。
写真1-1-5 搭乗便 写真1-1-6 機内食
写真1-1-7 デザート
左:搭乗は108Aゲートから。右奥にはルフトハンザ便も見えます。悪天候で20分遅れの13時前に出発。3列シートの通路側に座り、窓側と中央は定年退職したような熟年夫婦。
右上:羽田を飛び立って2時間近く。日本時間の14時45分頃最初の食事。
右:デザートのアイスクリーム
写真1-1-8 機内誌 写真1-1-9 機内食
左:機内では、半年前に封切られた「スターウォーズ/最後のジェダイ」や、「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」を見ました。
右:1回目の機内食からおよそ8時間後、ドイツ現地時間15時半、到着の2時間前、2回目の食事。
●ミュンヘン国際空港~ベルリン・テーゲル空港
写真1-1-10 ミュンヘン国際空港エアポート・センター
17時半過ぎ、15分ほど遅れてミュンヘン国際空港に到着。
入国審査は若い警官。「何日間。」と聞かれ、「12日間。」と答えたら、「ヨーロッパ諸国を回るんだね。」と返されたので、「ドイツだけ。」と答えたら、「なぜ。」と聞き返えされ、「ドイツが好きだから。」と答えたら、苦笑いして入国スタンプを旅券に押してくれました。
ターミナルを出ると大屋根が架かるエアポート・センターがあります。銀色に輝く屋台車エアストリームのインビスがいつ来ても変わらず懐かしい。
写真1-1-11 手荷物自動預かり機 写真1-1-12 夕食
左:手荷物をセルフサービスの自動預かり機に預けます。今日は国内線ですが、2年前フランクフルト国際空港で、日本への帰国便でもこの機械で、あっさり預けられたので驚いた事を思い出します。日本で恒例のX線検査装置は、預けた先にあるのかな。
右:ここミュンヘンで乗り継ぎ時間が2時間ほどあります。ちょうど夕食の時間だし、エアポートセンターのビヤガーデンで13ユーロ(1,760円)の食事。ドイツではありきたりの料理、ビール、パンですが、これで私は充分満足。
昨年の旅行で、ドイツ到着最初の食事は、ミュンヘン郊外のマックだったので、雲泥の差。
写真1-1-13 搭乗便 A321 写真1-1-14 機上から
写真1-1-15
左上:ベルリンへ飛ぶA321。25分前に搭乗。ボーディングブリッジには乗客の長い列。時間がゆったり流れている感じ。南ドイツ・バイエルン地方だから特にゆったりしているのかな。定刻20時にミュンヘンを出発しました。
右:時刻は21時前、ベルリン・テーゲル空港に到着する少し前の機上から。見渡す限りの平野で、地平線の彼方に夕陽に輝く雲が見え、日本とは全く違う景色につい見入ってしまいます。
左:ベルリンまで1時間5分のフライトですが、一人一人希望を聞きながらドリンクサービスです。
写真1-1-16 ベルリン・テーゲル空港
写真1-1-17 ツォー駅
上:ベルリン・テーゲル空港に到着。ベルリンを訪れるのは5年ぶり5回目。この後、予定していたよりも20分早い路線バスでツォー駅へ(左写真)。東西ベルリンに別れていた頃、この駅は旧西ベルリンの中心駅だったので、古い映画のワンシーンを思い出します。この後、地下鉄を2駅乗り、22時前、予定よりも早く宿にたどり着きました。長崎の我が家を出て、22時間半の道のりでしたが、旅の疲れよりも、ドイツへ「帰省」した嬉しさが先立ちます。
1-2 Metropolitan Hotel Berlin メトロポリタン・ホテル・ベルリン
●西ベルリンの中心に近いエコノミーな三つ星ホテル
写真1-2-1 外観 写真1-2-2 平面図
「メトロポリタン」という、名前負けしそうなこのホテルに2泊。一泊朝食付き62.5ユーロ(泊まり55ユーロ、朝食7.5ユーロ)。フロントは最初から最後まで人が変わっても全く笑顔無しで、いかにもドイツらしい「ビジネスライク」。
写真1-2-3 客室 写真1-2-4 客室
広さ10㎡(約6帖)の客室。暖房なしでも、給湯の露出配管から漏れる熱で、室温は25度近くを維持しています。せっかくドイツへ来たので、客室にいて起きている間、ニュース専門局(NTV)他、TVを流したまま、ドイツ語のシャワーを浴びられ大満足。
写真1-2-5 サニタリー 写真1-2-6 客室からの眺め
左:年季が入った建物でも、サニタリーはリフォームされ清潔感があります。
右:客室は中庭に面していて静か。
写真1-2-7 1泊目の朝食 写真1-2-8 2泊目の朝食
2泊したので、2泊分の朝食をまとめて掲載します。標準的なビュッフェ形式。珍しく温野菜もありました。食べ放題だから、昼食分までたっぷり食べた感じ。
ドイツ2日目は、市内公共交通機関が乗り放題になる1日乗車券7ユーロを買って、世界遺産の集合住宅、ユダヤ博物館、NRW代表部などを回ります。ベルリンの天気予報は晴れのち雨、予想最高気温14度、最低気温5度で、長崎の3月初旬の気候。傘は必要みたい。
写真1-2-9 ベルリン芸術大学 写真1-2-10 連邦内務省
左:宿から地下鉄Spichernstr.シュピッヘルン通り駅へ向かう途中、歴史を感じる建物が2棟。まずUniversität der Künsteベルリン芸術大学。案内板によればLudwig Giersberg und Heinrich Strackルートヴィッヒ・ギーアスベルクとハインリッヒ・シュトラックの設計により1880年築。シンケル(注)の学校様式が色濃く反映されたルネッサンス様式の高校校舎優雅なデザイン、色使いが私の好み。
右:向かいはBundesverwaltungsamt 連邦内務省。ベルリンに遷都したものの内務省本省はケルンなので、ここは出先機関らしい。案内板によれば、1895年にEin Verwaltungsgebäude für die Königlich Preußische Artillerie-Prüfungskommissionプロイセン王立砲兵試験委員会管理棟として建てられ、1950年に連邦政府前身の庁舎となり、前面道路もKaiserallee皇帝通りからBundesallee連邦通りに改名されたとのこと。
注:カール・フリードリヒ・シンケル Karl Friedrich Schinkel (1781-1841)は19世紀前半に活躍した大建築家。2013ドイツ旅行その2>2-3 ウンター・デン・リンデンで紹介したノイエ・ヴァッヘ(新衛兵所)や旧博物館を設計。まさにベルリンの顔を作った建築家。
1-3 【世界遺産】Hufeisensiedlung フーファイゼン(馬蹄)団地
モダニズム集合住宅群~ブルーノタウトが手掛けた馬蹄型住宅棟(1925~30年)
写真1-3-1 地下鉄.シュピッヘェルン通り駅 写真1-3-2 円筒形の案内板
左:地下鉄に乗り、市の南東部にある最初の目的地【世界遺産】モダニズム住宅群のひとつグロースジードルンク・ブリッツGroßsiedlung Britzへ。
右:案内板に空撮がありました。建築家ブルーノ・タウトが手掛け、馬蹄型住宅棟Hufeisensiedlungフーファイゼン(馬蹄)住宅の回りにI型住宅棟が並んでいます。
写真1-3-3 地下鉄駅 写真1-3-4 地下鉄駅
左:降りた地下鉄Blaschkoalleeブラシュコアレーの駅舎もこの団地のアクセント。
右:壁はガラスブロックで明るく、床は大中小の黒タイルが規則的に並び、控えめな色調と、シンプルなデザインが、長い時を経ても普遍的な価値を保っています。
写真1-3-5 写真1-3-6 リニング通り
(左)生垣にはさまれた細い路地を歩いて行くと、(右)Liningstr.リニング通りの両側に鮮やかな住棟、そして正面には、白と青色の馬蹄型住宅棟が見えます。
写真1-3-7 馬蹄型住宅棟外側 写真1-3-8 馬蹄型住宅棟外側
周囲を散策しながらMiningstr.ミニング通りとLowise-Reuter-Ringロヴィゼ=ロイター=リングの交差点まで来たら、馬蹄型住宅棟のつま先のやや左側(写真1-3-2の左上側)。ボリュームがある建物だけに、単色ではなく二色の塗り分けが威圧感を和らげています。ベージュ系が一般的な町並みにあって、この付近は雰囲気が別の国みたい。
写真1-3-9 馬蹄型住宅棟通路 写真1-3-10 馬蹄型住宅棟中庭
(左)眼前に中庭へ抜ける通路があり、(右)中庭の中心に続いています。生け垣で左右の視界が制限されているので、開けたところまで行ってみたい、と思わせる仕掛けかな。
写真1-3-11 馬蹄型住宅棟中庭 写真1-3-12 馬蹄型住宅棟バルコニー
左:正面は馬蹄のかかと側(写真1-3-2の右上側)。
右:角のバルコニーは、中央に仕切りがあることから、2戸で分けあっているようです。
写真1-3-13 馬蹄型住宅棟中庭
馬蹄型住宅棟のかかと側からつま先側を撮影。建物は半円を描き、中庭の中心にはビオトープ。建物の存在感を強調するような色使いの外側と比べて、内側は緑と調和してシック。日本では居室の南側採光が人気があるため、団地といえばドミノ倒しのパイのように、I型の共同住宅棟が南向きに並ぶものだという固定観念を吹き飛ばしてくれます。
写真1-3-14 馬蹄型住宅棟
更にかかと側の外側に出て、つま側を撮影。時刻は平日の11時。左側のレストラン「Zum Hufeisen」は、12時の開店に向けて準備中。右側のインフォメーションセンターは、金曜日と日曜日の午後だけの営業らしく、このときは閉まっていました。
建設から100年近く経つのに、古さを感じさせず、ここなら住んでみたいと思える豊かな緑と静かな環境が印象的な住宅団地でした。
写真1-3-15 改修工事中の建物 写真1-3-16 工事現場看板
左:近くでは、道路の一部や駐車場を工事用ヤードに使って、改修工事中。
右:この看板によれば、地区景観条例に基づく改修工事で、住戸405戸、業務用7区画、工事期間2年。
写真1-3-17 写真1-3-18
左:個人宅の玄関の右手にベンチとテーブルが置いてありました。ここで飲むビールはうまそう、と思わず撮影。左手の1階の窓には鎧戸。これは単板ですが、別の家にはガラリになった鎧戸もあって、防犯と通風・採光を兼ね備えてよさそう。
右:降車した地下鉄駅Blaschkoalleeブラシュコアレーの別の出入口が公園の一角にあり、駅舎の陸屋根が広場として使われています。モザイク模様がカラフルなソファーのオブジェ。
写真1-3-19 パーク・アム・ブッシュクルーク
写真1-3-20
上:地下鉄駅の周囲の緑が美しかったので、少し散策すると、Park am Buschkrug パーク・アム・ブッシュクルークという広い公園に出ました。子ども達で賑わっています。Wiki.de(※、独語)などによれば、公園のそばにあったBuchkrug(やぶのつぼ?)にちなんで、命名されたらしい。
左手に人頭が見えます。調べたところ2本の牙を持つドラキュラDraculaとのこと。ちょっと怖いけど、スライダーがあって子ども達には人気だそうです。
左:公園の至る所に、オーストリアの芸術家、画家、建築家フンデルトヴァッサーの世界観のような、モザイクで彩られたベンチや門柱がありました。それでは地下鉄で中心部へ戻ります。
写真1-3-21 メーリング広場の平和の塔 写真1-3-22 スーパー・エデカ
左:地下鉄をHallesches Tor ハレシェス門駅で降りました。このときは土砂降り。駅のそばにあるMehringplatz メーリング広場には、広場を囲むリング状の住宅棟と、広場の中心にFriedenssäule 平和の塔があります。この塔はWiki.de(※、独語)他によれば、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の命により、ナポレオン戦争の勝利(1815年)から25年続く平和を記念して1840-43年に建てられたとのこと。
右:2013年の旅行ではこの駅に近い宿に泊まって、ここにあるスーパーにも毎日買い物に来たので懐かしい。但し看板は、当時のカイザースからエデカに変わっています。
1-4 Jüdisches Museum Berlin ユダヤ博物館
ドイツにおけるユダヤ人の歴史~建物と展示が一体化した博物館
写真1-4-1 旧館 写真1-4-2 案内板(平面図)
左:駅を出て800mほど歩くとユダヤ博物館に到着。左側は旧館(旧ベルリン高等裁判所Kollegienhaus[1735])、右奥はユダヤ系アメリカ人建築家リベスキントが設計した新館(1999)。旧館から入館します。
右:建物の前にあった案内板。左上は旧館、下の新館は蛇が這ったような平面です
写真1-4-3 ホロコーストの塔
想像を絶する強烈な個性を主張する建物でした。写真の「ホロコーストの塔Holocaust-Turm」は、高さ24mの何もない寒々とした薄暗い空間。静かに佇んで、頭頂から差し込む小さな明かりを眺めると、未来を閉ざされた人々の苦悩が伝わってくるようです。
写真1-4-4 新館 写真1-4-5 昼食
左:中庭へ出ると、傷だらけにデザインされた新館の外壁が一望。展示物が主役で、その箱となる建物は脇役に徹する博物館・美術館もありますが、ここは建物と展示物が一体。
右:ここのカフェテリアで軽い昼食。7.5ユーロ(1,000円)。
写真1-4-6 亡命の庭(道路側から撮影) 写真1-4-7 アカデミー
左:傾斜した通路を歩いて扉を開けると、外に亡命の庭Garten des Exilsがあります。傾斜地に、柱頭が緑化された49本のコンクリート柱が傾斜して立っています。感覚的に不安定な空間は、亡命したユダヤ人らの心境を表しているそうです。
右:道路の対面にも目を引く建物があり、壁には「W.Michael Blumenthal Akademie des Jüdischen Museums Berlin」との切文字。ユダヤ博物館の館長ヴェルナー・ミヒャエル・ブルーメンタールの名前を冠した研究部門らしい。さて次はポツダム広場へ。
1-5 Potsdamer Platz - Ku'damm ポツダム広場~クーダム
写真1-5-1 映画博物館 写真1-5-2 文化フォーラム
左:地下鉄でポツダム広場に到着。ソニーセンターにある映画博物館は、5年前に訪れたものの、外観の写真が無かったので、記念の1枚を撮影。
右:ポツダム広場から西へ向かうと、文化フォーラムKulturforumという、公共施設が集積した一角があります。写真の教会はプロテスタントのマタイ教会St.Matthäus Kirche(1846)。
●新ナショナルギャラリー
写真1-5-3 大規模改修中 写真1-5-4 新築当時の写真
左:教会の隣に、ドイツを代表する建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)が設計した新ナショナルギャラリー Neue Nationalgalerie(1968)があります。供用開始から50年を経て、初めての大規模改修が、2020年半ばを目指して進行中。
右:仮囲いに新築当時の写真が掲げてありました。仕事柄、展示物よりも、次回は修復なった建物を見てみたい。
写真1-5-5 ドイツ抵抗運動記念館 写真1-5-6 ワーグナー記念碑
次の目的地に向かって歩いていたら、外壁に「Gedenkstätte Deutscher Widerstand ドイツ抵抗運動記念地」と書かれています。手元の旅行ガイドブックには記載が無かったため、ノーチェックでした。ナチスへの抵抗運動に関する資料館らしく、次回は訪れてみたい。
右:ティーアガルテンにワーグナー記念碑Richard-Wagner-Denkmalがありました。1903年に除幕され、第二次世界大戦では大きな被害を受けず生き延び、1987年に保護用の屋根がかけられたとのこと。
●ノルトライン=ヴェストファーレン州代表部
写真1-5-7
更に歩くと、日本大使館の隣にノルトライン=ヴェストファーレン州代表部 Landesvertretung Nordrhein-Westfalenがあり、今回の旅はここを目指してきました。
2年前のドイツ旅行の際、ハノーファーの近くにある【世界遺産】ファグス靴型工場で、木材を使い、持続可能性を追求した建物として紹介されていたため、訪問候補にリストアップしていました。2016ドイツ旅行その4>4-3 あとがき参照。
デュッセルドルフの建築家Karl-Heinz Petzinkaの設計により、2002年に竣工。外皮は、ガラス、鋼材、木材で構成され、屋上には太陽光発電設備が載っています。
写真1-5-8 アトリウム 写真1-5-9 刑務所作業製品
左:公開されているアトリウムへ入りました。鋼材とガラスはよくある組み合わせですが、そこに木材が効果的に使われ、穏やかな雰囲気になっています。デザインは新鮮で陳腐化しておらず、とても16年も経った建物にはみえません。
右:アトリウムに置いてあるガラスケースには、ケルン大聖堂などを彫り込んだ、木工品が展示してあります。説明板によれば刑務所作業製品で、www.knastladen.de/NRW-Shop(※、独語)で買えるとのこと。
この後、路線バスでクーダムへ。
●カイザー・ヴィルヘルム記念教会
写真1-5-10 写真1-5-11 36年前
左:クーダムではカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。2012年、2013年工事中のため仮設パネルで覆われていた旧教会堂鐘楼(左写真の右側)を、見ることができます。一方、2012年、2013年には見られた左側の新鐘楼は、足場で覆われていて、奇しくも36年前に初めて見た時と同じ構図(右写真)。
5回ベルリンを訪れましたが、未だかつて絵はがきにあるような、新旧教会堂全てを同時に見たことがありません。
写真1-5-12 新礼拝堂
2017年12月放送のNHK-Eテレ「旅するドイツ語 第13回 過去と向き合うベルリン」で、前川泰之さんが、この教会を訪れました。青い光に包まれたこの新礼拝堂をTV画面で見て、私も改めて脳裏に刻みたいと思い、再訪。これまで数え切れないほど教会堂を訪れましたが、この新礼拝堂は異次元空間です。
●クーダム
写真1-5-13 クーダム 写真1-5-14 立ち上がった熊
左:カイザー・ヴィルヘルム記念教会の前から西へ、クーダムの目抜き通りがありますが、今日はパスして、一旦宿へ戻ります。
右:ベルリン市内には、市の紋章「立ち上がった熊」をモチーフにした熊が至る所にあります。この熊にはベルリン市の地図が描かれています。
1-6 Französische Straße フランツェージッシェ通り
写真1-6-1 写真1-6-2 夕食
一旦宿に戻り休憩した後、ミッテ地区のフランツェージッシェ通り(フランス通り)方面へ出掛けます。まずはヴィッテンベルクプラッツWittenbergplatzのDöner Deluxeというインビスで6時前、4ユーロのケバプで早めの夕食。これを食べないと日本へ帰られない。
写真1-6-3 リッターシュポルトの直売店 写真1-6-4 フランスドーム
左:フランツェージッシェ通りを歩いて行くと、まず目に付いたのはRitter Sport Bunte Schokowelt Berlin リッターシュポルトの直売店。何気なく写真を撮って通り過ぎましたが、旅行記をまとめながら調べるとリッターチョコの関連グッズもあるようで、ミスった!
右:更に歩くとフランス大聖堂 Französischer Dom(1701-05年、ドームは1780-85年に後付け)。フランスの宗教難民ユグノーのために建てられたとのこと。ドイツの一般的な教会堂建築とは一線を画した新古典主義の堂々とした建物。
この大聖堂が建つジャンダルメンマルクトGendarmenmarktには、コンツェルトハウス、ドイツ大聖堂もあり、今回はパスしたモノノの、見応えのある建築のようなので再訪したい。
写真1-6-5 ピエール・ブーレーズ・ザール
フランツェージッシェ通りを訪れた目的は、このピエール・ブーレーズ・ザール Pierre Boulez Saal。建築雑誌に「舞台倉庫をホールに改修して今年3月4日にオープンしたばかり。」とありました。訪れた日はコンサートが開催されます。あわよくば当日券で、と狙いましたが、入場する人の服装を観察すると、結婚披露宴に行くような正装。旅行着のパーカーとジーパンでは気後れします。せめてジャケットは必要。来年どうするかな、中を見るには正装だけど、荷物は増やしたくないし・・・
写真1-6-6 ベーベル広場 写真1-6-7 TV塔
左:少し戻りベーベル広場Bebelplatzへ。正面はウンター・デン・リンデンを挟んでフンボルト大学。左手は旧図書館Alte Bibliothek(1775-80)。現在はフンボルト大学法学部とのこと。右手は国立歌劇場Staatsoper(1741-43)。いずれも首都にふさわしい建物で、いずれじっくり見てみたい。
右:カメラを右に振ると、国立歌劇場(左)と聖ヘドヴィッヒ大聖堂Sankt Hedwigs Kathedrale(右)の間からTV塔が見え、旧東ベルリンまで足を伸ばしたことを実感。
写真1-6-8 写真1-6-9
左:ヴィッテンベルクプラッツまで戻って来ました。先ほどケバプを食べたインビスで、カレーソーセージと瓶ビール7.5ユーロ。少し頑張ってもう1駅先のツォー駅まで行くと、美味しいカレーソーセージ店がありますが、もう動くエネルギーが残っていなくて、ここで済ませます。実質的にはドイツ初日だけど、住み慣れた国の国内旅行みたいでした。
右:宿に戻りると、好きな刑事ドラマの放送時間。コンサートの代わりに客室でチョコを食べながらTV鑑賞して、今日は終わり。
1-7 AEG-Turbinenfabrik AEGタービン工場
ドイツ3日目は、レンタカーを借りて、ザクセンハウゼン強制収容所、ポツダム映画博物館などを回って、フランクフルト(オーダー)まで約220km走ります。出発地ベルリンの天気予報は曇りのち晴れ、予想最高気温14度、最低気温7度。到着地フランクフルト(オーダー)の天気予報は晴れ、予想気温はベルリンと同じで、ほぼ昨日なみの気温ですが傘はいらないようです。
写真1-7-1 写真1-7-2
ホテルを7時半頃チェックアウトして、晴天なのでレンタカー営業所までニュルンベルガー通りNürnberger Str.を1kmほどリュックサックを背負って歩きます。ウィンドウショッピングが楽しい。
左:アンティーク店の店頭。左下には仏像も。
右:模型店。上段のバスが新旧いろいろあって見ているだけで楽しい。
写真1-7-3 ユニクロ旗艦店 写真1-7-4 Peek & Cloppenburg
左:ユニクロの旗艦店。
右:傾斜したカーテンウォールが印象的。衣料品チェーン店のPeek & Cloppenburg。
写真1-7-5 レンタカーのダッシュボード 写真1-7-6 プリウスのタクシー DR画像
左:レンタカーは、AvisのBerlin Center ベルリン・中央営業所で借ります。営業所のカウンターは黒人男性でとても親切でした。次回もここで借りたいと思ったくらい。
借りた車は、フォルクスワーゲン・ティグアン 2.0 ディーゼル。SUVですが、ゴルフがベースなので、大き過ぎず扱いやすい。ダッシュボードは全て液晶。左ハンドルの車、右側通行で、いきなり350万都市ベルリンの中心部を走るのはどうかと思いましたが、
・5年前、平日の午後、渋滞していて交通量の多い時間帯にこの付近を走ったこと。
・毎年ドイツを2~3,000km走って経験を積んだこと。
から、挑戦。車は、営業所そばの立体駐車場に駐めてあります。走り出して立体駐車場を出る8時45分頃には、なんとかなりそうな自信。それと昨年は、ドイツに到着したその日の夕方ミュンヘン国際空港で借りて、その日のうちに宿まで走らないといけないというプレッシャーがありましたが、今年はドイツ到着の3日目の朝借り、夕方までに宿に着けばいいので、気持の余裕が全く違います。最初の目的地AEGタービン工場(1910)まで4.4km、10分ほどの予定。
右:シュプレー川に架かるGotzkowskybrücke ゴッコーウスキー橋の信号待ちで、前のタクシーがプリウス。しかもナンバーはB(ベルリン)の次がJP。親日家かな
高速道路は一定のルールがあり気楽に走られますが、市街地の道路は目まぐるしく状況が変わり、スリル満点。大人の遊園地です。
写真1-7-7 工場妻側
駐車場の出口から、途中渋滞もあって15分ほどかかって9時に到着。
ドイツの電気メーカーAEGの顧問デザイナー、ペーター・ベーレンスPeter Behrens(1868-1940)による設計。このブログ(※、日本語)によれば「鉄骨造建築を新古典主義様式の造形でまとめ、近代建築の出発点とされる記念碑的作品。」
石綿セメント板の外壁と屋根の工場上屋を見慣れた目には、100年以上前の建築でありながら、とても斬新に映ります。
写真1-7-8 工場平側 写真1-7-9 ピン構造の柱基礎
左:カマボコを縦にいくつもつなげたような長い建物。平側に回ると、全面ガラス張り。稼働中の建物だから中に入ることはできませんが、きっと明るい工場でしょう。
右:柱の基礎部分。こんなピン構造は初めて見ました。
さすがに名を留めるだけの価値があります。はるばる長崎から足を運んだ甲斐がありました。
時刻は9時20分、次はザクセンハウゼンへ向けて北へ約34km、40分の予定です。
1-8 Gedenkstätte und Museum Sachsenhausen ザクセンハウゼン追悼博物館
●強制収容所の総本山
写真1-8-1 パンコウ市内 DR画像 写真1-8-2 高速114号 DR画像
最短コースは渋滞が激しいらしく、ナビは東へ大回りする迂回路を案内します。迂回先のパンコウ市内も車は多め。
左:先行車に従って、路面電車の併用軌道を走行中。右の走行車線は、駐車車両(パーキングチケットによる合法駐車)があるため、右前を行く青いマーチが幅寄せしてきます。走る方向はナビが案内してくれますが、走る車線は、刻々と変わる目の前の状況を瞬時に判断する必要があります。慣れない車、右側通行、ドイツ語のナビを音声を聞きながら、かなり疲れ、出発時の強気はどこへやら。
右:パンコウ市役所 Rathaus Pankowの前を通り、市街地を抜けたら快調。高速114号線、10号線を北上し、結局1時間10分ほどかかって、10時半に到着。
ここは、2013年に一度訪問しました。2013年ドイツ旅行その3>3-2 ザクセンハウゼン強制収容所。しかし当時は駆け足だったので、再訪したしだい。
これまで訪れたブーヘンヴァルト(2012)ダッハウ(2017)ベルゲン・ベルゼン(2017)と違い、ザクセンハウゼンの特徴は、首都が近かったため、強制収容所総監本部もあり、強制収容所のモデルだったこと。
写真1-8-3
これから①インフォメーションセンター、②監視塔付き入場口、③周壁の遺構、④38・39収容棟、⑤独房棟、⑥洗濯棟と厨房棟、⑦Z部界壁、⑧Z部、⑨病理棟、⑩新博物館の順番で見学します。④に展示してあった収容所模型に番号を振りました。なお現時点で、建物は一部しか残っていないか、再建されたものです。
2013年にインフォメーションセンターで入手した独語パンフレットやネットの情報などを参考に記載します。今回はインフォメーションセンターで尋ねませんでしたが、ネットには「日本語翻訳A4版を入手した」との情報もあり、もう一度行ってみたいので、次回は尋ねてみたい。
②監視塔付き入場口
写真1-8-4 監視塔付き入場口 写真1-8-5 入場口の鉄扉
左:駐車場から、インフォメーションセンターを経由してこのEingang zum Häftlingslager Turm A 監視塔付き入場口まで約500m(約6分)。
右:「Arbeit Macht Frei(働けば自由になる)」の標語が書かれた鉄扉を通って入場。かつて正面には、収容棟が扇状に並んでいたはず。右手へ向かいます。
③周壁の遺構 ④38・39収容棟
写真1-8-6 周壁 写真1-8-7 38・39収容棟
左:「緩衝帯へ立入ると警告無しに即刻銃撃される」と表示がある周壁の遺構(1961年再建)。
右:まずKleines Lager(小さな収容所)の中にあるBaracke38・39収容棟(1961年再建)へ向かいます。この収容所は主に政治犯やジプシーなどが収容されていましたが、この「小さな収容所」にはユダヤ人が送り込まれたとのこと。広い敷地に再建された2棟があります。
両棟は1992年9月反ユダヤ主義者により放火され、38収容棟には新しい展示室が作られ、39収容棟は、放火の跡が保存されています。
写真1-8-8 便所 写真1-8-9 浴室
左:説明板には概ね次のように記載されています。
便所は、朝の点呼の前、昼休み、夕方の点呼の後の数分だけ使用を許された。病弱、高齢者は、他から押し倒され、床で糞尿まみれになった。
SS(親衛隊)は、便所でも虐待。働けない収容者を、密閉された便所に身じろぎせず1日中立たせた。便器で溺死するものもいた。
右:続いて浴室の説明板には概ね次のように記載されています。
1棟の収容棟に留置されていた最大で400人の収容者に対し、細々と冷水が湧き出る二つの洗い桶。
起床後、点呼に向かうまでの30分の間に、配給を受け、洗い桶一つに、同時に8~10人が立った。
ここもまた虐待の場所だった。写真右側の足洗い場で、SSによって収容者が溺死した。
写真1-8-10 収容棟内部 写真1-8-11 電光式配置図
左:収容棟内部をガラス越しに見学。
右:電光式配置図。今いる38・39収容棟が点灯しています。左下の凡例には「Block 18 und 19 Ab Herbst 1942 Fälscherkommando (ブロック18・19 1942年秋から偽造作戦)」とあり、映画「ヒトラーの贋札(2007)」でも描かれた、史上最大の贋札事件と言われる「ベルンハルト作戦」が行われた場所もあったらしい。
写真1-8-12 写真1-8-13
(左)外観からは全く想像できない展示室があり、(右)地下に続いています。
⑤独房棟
写真1-8-14 独房棟 写真1-8-15 独房棟
左:強制収容所内の、更に周壁で隔てられた一角に、ゲシュタポ(秘密警察)と収容所のZellenbau独房棟(1961年再建)があります。ここは秘密に包まれた残酷な虐待と殺人の場で、収容者への懲罰だけでなく、反体制活動家を投獄したとのこと。
写真1-8-16 模型 写真1-8-17 平面図
左:模型がありました。建物はT字型で、赤枠の部分が再建され見学可能な部分。
右:仕事柄、図面が展示してあると興味深く見てしまいます。分かりにくいので、建物の輪郭に茶線を引き、再建された部分を赤く囲みました。80の独房があったようです。
写真1-8-18 立面図 写真1-8-19 平面詳細図と矩計図
丁寧に描かれたこの建物の設計図(1936年)。80年以上前の作図ですが、図面の書き方は基本的に変わっていないので、今見ても建設当時の構造・意匠がよくわかります。
⑥洗濯棟と厨房棟
写真1-8-20 洗濯棟と厨房棟 写真1-8-21 厨房棟地下
(左)次に向かった先は、収容所中央にある2棟。左は21Häftlingswäscherei収容者洗濯棟で、現在は学習ホール。右は22Häftlingsküche収容者調理棟で、現在は当収容所の歴史で重要な出来事を紹介する常設展示場。(右)その地下は、ジャガイモむきの作業場で、収容者が当時描いたユーモラスな壁画が正面に見えます。
⑦Z部界壁
写真1-8-22 Z部界壁
次に「Station Z Z部」へ向かいます。その途中、三角形の収容所敷地とZ部を仕切る界壁Lagermauer an der Station Z に、強制収容所での殺人や大量殺戮、とりわけ1941年秋ソ連捕虜約13,000人が殺害された記録が示されています。
⑧Z部
写真1-8-23 銃殺壕 写真1-8-24 Z部遺構入口
左:周壁を回り込むとErschiessungsgraben銃殺壕がありました。ここでは、反体制活動家、徴兵忌避者、ナチスの特別裁判で有罪判決を受けた者が殺害されたとのこと。
次は、銃殺壕の奥、白壁の一角「Z部遺構」に向かいます。
右:Z部遺構の入口には、ワルシャワ蜂起(1944)に参加し、この収容所に送られたポーランド人作家Andrzej Szczypiorski(1928-2000)の1995年の言葉が掲げてあります。
私には、悟った事が一つある。軽蔑と憎しみに満ちた中で、拷問死、飢死、ガス死、焼死、絞首死した、国籍たがわず当時の全ての犠牲者に思いを寄せない限り、欧州の未来はないと。
心に響く文章に、言葉の力強さを感じます。
写真1-8-25 火葬場跡 写真1-8-26 献花台
左:説明板には概ね次のように記載されています。
アルファベットの最後の文字「Z」は、収容所生活最後の場所との意味がある。
4つの焼却炉とガス室が完全なまま残っていたが、1952~53年にDDR(東ドイツ)警察によって破壊。1961年遺構を保護するために屋根を架け、2004年に屋根を掛け替えた。
右:献花台があり、多くの花が手向けられ、戦後70年以上経っても、戦争の傷跡の大きさに心が痛みます。
⑨病理棟
写真1-8-27 写真1-8-28 平面図
左:収容所の三角形敷地内へ戻って来ました。次はKrankenrevierbaracken病理棟。説明板によれば、1939年9月に開戦して、死者数が目に見えて増加したため、1941年春Baracken R I und R IIと呼ばれるこの2棟が建てられたとのこと。
右:平面図によれば2棟とも地下室があり、地下通路でつながっています。
写真1-8-29 写真1-8-30 遺体安置室
左:人体実験が行われていた部屋。社会見学の生徒さんが説明を聞いていました。
右:地下の遺体安置室。
写真1-8-31 階段 写真1-8-32 地下通路
左:地下へ降りる階段には、損耗防止のためか、ガラス板が敷き詰められています。
右:わざわざ地下通路を造るとは、よほど極秘しておきたいことをやっていた、という証でしょうか。閉鎖的な地下空間は、鳥肌が立つような冷気を感じます。
写真1-8-33 浴室 写真1-8-34 斜路
左:浴室。連れてこられた病人は、最初この浴室で身を清めたとのこと。地下には給食室など、このような部屋が並んでいます。建物の外側にドライエリアがあるため、通風・採光が確保されていて、少しは気が休まります。
右:建物の端に、地下に通じる斜路があり、ここから遺体を搬出したことでしょう。
⑩新博物館
写真1-8-35 2013年撮影 写真1-8-36 2013年撮影
②監視塔付き入場口を出た右側にある⑩新博物館に寄ります。今回撮影し損ねたので、5年前に撮影した写真です。この博物館は二つのテーマによる展示があります。
1.ザクセンハウゼンの前身、オラニエンブルクのビール工場を改修して1933年に造られたプロイセンで最初の強制収容所について。全国から集められた政治犯3,000人以上を収監。
2.1945年記念碑建設から1990年のドイツ統一までの歴史を展示。
収容所全体を総括すると、解説がドイツ語と英語だけなので、私の拙い語学力ではハードルが高く、調べれば調べるほどもっと理解したくなる奥深い所です。強制収容所の総本山だけあって、ここにしかないものもあり、もう一度訪れたいと思いました。
時刻は12時過ぎ。昼食の時間ですが、先を急ぐため南へ約60km、所要1時間の予定でポツダムへ向かいます。
1-9 Filmmuseum Potsdam ポツダム映画博物館
写真1-9-1 DR画像 写真1-9-2
左:交通量が多く、ナビが指示した迂回先もノロノロ運転がたびたび。結局2時間8分かかって、博物館裏のパーキングチケット式の路上駐車場に車を駐めました。写真は到着直前のDR画像。左端の水色枠が映画博物館。正面は州議会として使われているPotsdamer Stadtschlossポツダム宮殿。右端の水色ドームは、ニコライ教会。
右:看板に「100 Jahre Traumfabrik Film in Babelsberg(バーベルスベルク 夢の映画制作 100年)」とある1981年に開館した世界最古の映画博物館。ポツダムにはウーファーUFAという番組製作会社や、撮影所バーベルスベルク・スタジオなどが今もあり、ドイツ映画の隆盛期だった1917年から45年を主に記録する博物館です。
写真1-9-3 写真1-9-4 シュトイベンの銅像
左:ロココ調の歴史を感じる建物に映画博物館という組み合わせ。私には映画の展示物よりも建物が気になります。ここは、【世界遺産】サンスーシ宮殿の荒廃した厩舎を修復して映画博物館にしたとのこと。この壮麗な建物が馬小屋だとは驚きだし、玄関上にある馬をモチーフにした彫刻にも納得。
右:建物の裏手にひっそりと立派な銅像がありました。台座の銘板には「フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベンGeneral Friedrich Wilhelm August von Steuben」とありました。調べたところ、18世紀のプロイセン王国の陸軍士官で、アメリカに渡り、軍隊育成の功績があったらしい。
時刻は13時。次はポーランド国境沿いのフランクフルト(オーダー)まで、東へ向かって115km、約1時間20分の予定で、昼食は、その途中で取ることにします。オシャレなカフェでもあるといいな。渋滞しているらしく、ナビはやはり迂回路を指示するので、何時に到着することやら。
1-10 Frankfurt(Oder) フランクフルト(オーダー)
実はフランクフルトは2箇所あります。メジャーなFrankfurt am Mainフランクフルト・アム・マイン(ライン河畔のフランクフルト)の他に、Frankfurt an der Oderフランクフルト・アン・デア・オーダー(オーデル河畔のフランクフルト)。このオーデル河畔の都市を、観光とは無縁と知りつつ長年訪れたいと思っていました。人口58,000人。
以下、一般的な表記で「フランクフルト(オーダー)」、河川Oderは、川そのものを表す場合は慣例に従い「オーデル川」、他は現代ドイツ語発音で「オーダー」と表記します。
写真1-10-1 昼食 写真1-10-2 DR画像
左:映画博物館を出て、7分ほど走ってスーパーLidiでペットボトルの水を買出すついでに昼食も買い、折畳みテーブルが出るリアシートで食べました。20分ほど休憩して出発。
右:東行きの高速12号線は渋滞が激しく、途中一般道に降りてWolziger Seeヴォルツィガー湖のそばを通過。再び高速12号線に乗ると、目的地の手前約15kmのBriesenブリーゼンで降りて、そのまま一般道を走っていると「Warschauワルシャワ」方向を示す標識。まだドイツ国内を走っているものの、東へ来たなと実感します。休憩込み3時間。予定の2倍かかって18時頃宿に到着。ドライブ初日は、渋滞に振り回される1日でした。
写真1-10-3 カール・マルクス通り 写真1-10-4 オーダータワー
宿にチェックインしたらすぐに夕飯を食べに出掛けます。日本の旅行ガイドブックには記載が無い都市なので、事前にめぼしい所をネットでチェックしておきました。
左:夕食の前に少し中心部を散策。Karl-Marx-Str.カール・マルクス通り。路面電車も通る目抜き通りらしいけど、金曜日の夕方なのに人通りはまばら
右:ショッピングモールのDer Oderturmオーダータワー。
①ブルネンプラッツ(以下番号は、下の写真1-12-3参照)
写真1-10-5 中心部
中心部の①Brunnenplatzブルネンプラッツ(泉広場)。正面はSt.Marienkirche聖マリア教会。広場の左端にゴシック様式の市庁舎が見えます。
写真1-10-6 オーデル川 写真1-10-7 オーデル川
(左)オーデル川へUターン。中州があって緑豊かな水辺。(右)そして対岸はポーランド。
②フランクフルトのジャガイモハウス(レストラン)
写真1-10-8 レストラン 写真1-10-9 夕食
左:候補の中から選択したオーデル川沿いのレストラン「Frankfurter Kartoffelhaus(フランクフルトのジャガイモハウス)」のテラス席で夕食。
右:Kartoffelpüree hausgemacht mit Rostbratwurst und Sauerkraut自家製マッシュポテト、焼あぶりソーセージとザウアークラウト添え 8.7ユーロ。メインのマッシュポテトにソーセージと塩漬けキャベツが添えられていて、いずれも美味しかった。
写真1-10-10 生ビール 写真1-10-11 地ビール
左:Lübzer Pilsリューブツィガー・ピルス0.3リットル2.6ユーロ。ここから北西へ270km、メクレンブルク=フォアポンメルン州リューブにある醸造所。
右:Frankfurter Hefeweizenフランクフルト白の地ビール0.5リットル3.5ユーロ。
チップ込み16ユーロ(2,160円)。観光とは無縁の都市、爽やかな春の陽気に包まれたオーデル川沿い、金曜日の19時過ぎにも関わらず地元民で1/3ほどしか埋まっていない静かなテラス席。店員さんも極東の変なハゲオヤジを奇異の目で見るわけでもなく(装っているだけかも)、ごく普通にドイツ語で会話して料理を注文。申し分ないお膳立てで頂く、ドイツではありきたりの夕食であっても、もうこれ以上の幸せはないと思える極上の気分。ドイツの日常に溶け込む。これこそ庶民の私が望む旅のスタイルです。
③ハバナ・バー(ショットバー)
写真1-10-12 ショットバー 写真1-10-13 ショットバー店内
左:時刻は20時。事前にチェックしておいた宿への帰り道にあるショットバーHavana Barハバナ・バーへ。カリブ海のイメージなのか店頭の砂場で、若い男女4人が歓談中。
右:店内に客は数えるほど。「イェーガーマイスターはありますか。」と尋ねたら、「もちろん」との答え。シングル・ストレート1.5ユーロ(200円)。写真右下のグラスがそれ。同じ物を日本で飲むと2倍どころか、数倍するので、やはり地元ならでは。
1-11 Pension Oderblick ペンション・オーダービュー
④オーデル川河畔の小さな宿
写真1-11-1 全景(翌朝撮影) 写真1-11-2 客室バルコニーからの眺め
左:市中心部からは少々距離があるものの、オーデル川沿いの宿を選びました。一泊素泊まり43ユーロ、朝食6ユーロで、計49ユーロ(6,600円)。チェックインして鍵を渡され、すぐに出掛けて帰ってきたら従業員は誰もいなくて、こちらではよくあるパターンですが、Wi-Fiのパスワードを聞き損ねてしまい使えなかったことが、唯一の失敗。
右:客室はエレベーター無しの3階。客室バルコニーからの眺望は狙いどおり。
写真1-11-3 客室 写真1-11-4 客室
約12帖のツインの角部屋を一人で利用。窓は3重ガラスで、省エネルギー対策はさすが。
写真1-11-5 サニタリー 写真1-11-6 客室から眺める朝日
左:サニタリーはコンパクトですが、清潔感があります。
右:翌朝6時前、客室バルコニーへ出ると、すがすがしい青空。対岸のポーランド・スウビツェの町並みから朝日が昇ってきます。
1-12 Stubice スウビツェ(ポーランド)
⑤市街地
写真1-12-1 写真1-12-2
外気温は8度ほど。朝食前に散歩を兼ねて、徒歩で⑦都市橋を渡り、対岸のポーランドへ。人口18,000人の⑤スウビツェ市街地を散策しました。
左:橋を渡りきり、いよいよ生まれて初めてポーランドへ「入国」。シェンゲン協定により国境検査はなく、フリーパスで県境を越える感じ。
右:ドイツからの客を呼び込むドイツ語の看板。タバコや酒類が安いらしい。
写真1-12-3 案内板
撮影した案内板に番号を入れました。現在地は、中央を縦に流れるオーデル川の右側⑤付近。昨日訪れた①ブルネンプラッツ(市中心)、②夕食を食べたレストラン、③二次会のショットバー、④宿。なおフランクフルト(オーダー)の鉄道駅は、地図外の左下にあります。そしてただ今散策中の⑤スウビツェ市街地、⑥港、⑦都市橋。
もともと、スウビツェはフランクフルト(オーダー)の一地区だったものの、先の大戦とその後の冷戦で分断。ベルリンの壁が落ちて昔のような経済圏に戻り、今や両都市を結ぶバスは重要な路線で、更にオーデル川を渡る路面電車を復活させる動きもあるらしい。
写真1-12-4 GS 写真1-12-5 ショッピングモール
左:店頭の大きな電光数字4.99は軽油の値段。ポーランド独自通貨1ズウォティ=0.23ユーロで計算すると1.14ユーロ(151円)だからドイツより安い。ただWiki(※、日本語)によれば「対外通貨に対する上昇が著しく、ドイツ人がポーランドへ買物に行く現象は影を潜め、逆にポーランド人が西側へ買物に行く現象が生じている」とのこと。
右:120分無料の駐車場案内がデカデカとドイツ語で書かれたショッピングモール。
写真1-12-6 写真1-12-7
左:右端の飛び出したバルコニーがユニーク。
右:この付近が中心部で、大きな窓が保養地のホテルのような印象を受けます。
⑥港
写真1-12-8 港 写真1-12-9
左:オーデル川観光船の発着場となっている⑥港。遠方はフランクフルト(オーダー)。
右:カメラを右へ振ると、たった今爽快な気分で歩いて来た美しい並木道が見えます。
写真1-12-10 メルセデス・ベンツ W110 写真1-12-11 トラバント
ドイツでは滅多に見られないオールドタイマーが何気なく駐まっています。
左:美しく手入れされているメルセデス・ベンツ W110という1960年代のモデル。
右:飲食店の広告でラッピングされた、旧東ドイツを代表する小型乗用車トラバント(1957~90)。最終モデルでも28年経過しています。
⑦都市橋
写真1-12-12 都市橋 写真1-12-13 ドイツへ「帰国」
左:オーデル川に架かる⑦Stadtbrücke都市橋を再び渡って宿へ戻ります。
右:ドイツへ「帰国」。橋のたもとにあるドイツを表す標識がお出迎え。
写真1-12-14 朝食会場 写真1-12-15 朝食
左:宿へ戻り朝食会場へ。そこは朝日がさんさんと降り注ぐ河畔のサンルーム。
右:ゆで卵が付くコンチネンタル形式の簡単な朝食。隣席の初老のご夫婦に、「長年、もう一つのフランクフルトへ来てみたいと思って旅行した。」と話したら、「自分たちはフランクフルト・アム・マインに住んでいる。同じ理由で来た。」との答え。お互い目的が同じで笑いがこぼれました。
ここの宿代は、予約サイトが代行収納する方式で、現地支払いは無し。後でカード引き落としの請求額を確認したら素泊まり分だけで、朝食代は取られず、結局1泊軽朝食付き43ユーロ(5,800円)と、今回の旅で最もエコノミーな宿でした。
朝食の給仕とフロントを一人でこなしていた若い男性。トレーナーを着てても、そのゴリマッチョぶりが凄くて「鍛えてるね。」と褒めたら、向こうから別れの挨拶で握手。
1-13 Nachwort あとがき
写真1-13-1 
●ブランデンブルク国際空港はまだ?
5年前もベルリン・テーゲル空港に降り立ち、もう見納めだろうと思っていたのに、代替えとなるブランデンブルク国際空港はトラブル続きで開港が再々延期されており、2020年10月にやっと開港予定。テーゲルは古くて地方空港の雰囲気。ボーディングブリッジを渡ったすぐの所に手荷物を受け取るターンテーブルがあり、出口もすぐ。コンパクトで動線が短いので便利だけど、新空港も早く見てみたい。写真は、バス車中から夜の車寄せを撮影。
写真1-13-2 2014年撮影
●ポツダム市街地は未踏査
ポツダムを訪れたのは、2012年、2013年に続いて3回目。2014年にはポツダム中央駅まで車で同乗者を送った事も含めると、4回目。いずれも目的地へ車で乗り付けピンポイントで訪れたので、中心市街地のブランデンブルク門やオランダ人街など、主要観光地を残したままなので、いずれ訪れてみたい。左写真は、2014年にブランデンブルク門の横を車で通り過ぎた時に撮影。
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